ふろしき使ったことある?

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幼稚園とか小学校で画板なんかを持って行く時に風呂敷に包んで持って行ってた様な気がしますが、それ以来でしょうかね。
お葬式に参列する時でも今は紙の手提げ袋ですよね。
 
今日もお立ち寄り頂きありがとうございます。
妄想性パーソナリティ障害NEGHiです。
 
今日も眉山歩行ってきました。今日は初めてのコースを歩いてみました。
が、その前に・・・。
 
先々週の撮影分ですが、眉山ドライブウェイの様子をYoutubeにアップしました。
5分半ほどの動画なので、よろしければおつきあい下さいませ。
 

 

山道あるあるかとは思いますが、先ずはこの時期とくに斜陽がまぶしいです。

先日からお話している様に歩いている人、自転車、バイクの皆さんも利用されています。

 

今日もドライブウェイから眉山公園駐車場まではクルマです。

 

先ずは今日も剣山神社で今日の無事と皆さんの笑顔を。

おや?木箱に入っている筈の剣山のパンフレットが今日は見当たりません。

祝日なので沢山の方が訪れたのでしょうか。

 

今日はお詣りのあと、神社を背に眉山公園の南端のパコダの方へ向かいます。

あ!その前にマップのチェック。

剣山神社境内に徳島市のマップを貼って下さっています。

 

今日はAコースから降りてみたいと思います。

記憶の限りでは初めてのコース。

 

何があるのかなぁ♪あの山の奥に♪(山ねずみロッキーチャック)

わくわく♪

 

この辺りはまだ眉山公園の範囲?子どもの頃に来てる筈です。ただ、この石碑は昭和57年に建てられている様なので子どもの頃には未だ無かったんだろうな。

 

揚心流日本朗詠会信条
誠実  和敬  謙譲

瑞堂八木顕先生は明治40年徳島市八百屋町の老舗印判店八木家の嫡男として出生。
徳島県立工業学校卒業後家業に専念する傍ら古杉天真先生に師事して棒術を修め古杉天真流二世を拝授される。
更に眉山錬武館に於て柔道を修得。
亦詩吟剣舞道に精進し、その奥義を極められた。
昭和3年徳島健児社を創立。
詩吟剣舞を以て青少年の心身の練磨と情操の深化に努められ、乞われて徳島県嘱託となり県民修練所講師として県下を東奔西走県民の士気の昂揚に尽された。
太平洋戦争後の混乱期にはいち早く社会秩序の浄化と若人の健全育成と必要を痛感され健児社を揚心流日本朗詠会と改称。
学校など教育機関を通じて詩吟剣舞の再興を図り誠実和敬謙譲の三信条の下明るい人造り、社会造りを推進し情操教育と人格の陶冶に献身的に努力された。
昭和33年徳島県詩吟剣詩舞道連盟を創立。
初代理事長に就任。
徳島県邦楽協会副会長、中四国剣舞道連盟徳島県本部長、全日本剣舞道連盟顧問、日本吟詠総連盟運営委員等の要職を兼任。
県内は勿論全国的に斯道発展の為活躍された。
先生は昭和47年病没されるまで実に65年の生涯を通じて常に自己に厳しく、人を愛し和を尊び社会奉仕の一念に徹し、その崇高な精神は偉大にして不滅であり我等揚心流日本朗詠会々員一同先生の遺徳を偲び茲に顕彰碑を建立するものである。

昭和57年5月30日

 
むぅ・・・。失礼ながら存じておりませんでした。
 
用地由来記に所有者が書かれているように、眉山の殆どの範囲、登山道は個人の所有者がいらっしゃる様です。汚したり自然のものを勝手に持ち去ったりしない様に心がけたいですね。
 
公園から山道を降り始めるとお地蔵さんがいらっしゃいました。
白いお地蔵さんは先日のEコースでも何体かお見かけしました。
まだ新しい様ですけど、作者の方が置いて行かれたのでしょうか。
 
眉山の南東方向の面になるので日当たりがよくやさしいコース。
このコースならすっ転ばずに走れそう。
 
写真で見ると直登のBコースと似てる気もしますが、遙かにやさしいです。
初心者にも超オススメ。
 
整備されてたりされてなかったり・・・。
 
で、この辺りの分岐で道を間違えた様で・・・。
なんとなく直ぐに気付いたけど、道がある以上はどこかに降りる筈で・・・。
 
それがまたワクワク要因でもありますのでね。
 
新四国八十八箇所っていうのは、眉山の中腹市街地側の山道や道路沿いに列べられた祠のことかと思います。
江戸時代には眉山公園から南側の「勢見山」から「大滝山」の神武天皇像のあたりまでにかけて道路が整備され、観光地になっていました。
そこへ各お寺の祠が出張して来て更に観光客を呼んでいた様です。
 
と、言う説明看板が後ほど通ったAコース登山口に設置されトリました。
道路が出来たのは大正時代でした。てへぺろ
でも大滝山界隈が観光地だったのは以前の記事で「この所の眺望は殊に絶景なれば、別に図せり。」と文化9年(1804年)の阿波名所図会に書かれていることをご紹介しました。
 
そのAコースから逸れてしまい、更に幾つか分岐がありましたが、下山方向と思われる方向へ進路をトリ続けます。
 
やがて道路へ出てきました。
知ってる道路です。この先神武天皇像の前まで続いている道です。
直登のBコースでも横断する道路。
少しだけこの道路を神武さんの方へ歩くと・・・
 
降り口がありました。
なんだか急に人が通っている気配が無くなりました。
 
あしもと注意な道です。
 

ちなみに

下差しこちらは「おてもと」

 

 

石碑を見つけました。

市有林・・・ってどこからどこまでだ?

 

人の通りが少なそうな道では、こうして木に目印をしてくれているのがありがたい。

目印を辿って行けば比較的安全にどこかへ出られます。

どこかって、どこ?知らんけど。とにかく進むのみ!

 

こっちかな。

 

うん。目印ある。間違ってない。

 

崩壊危険区域。

こんな処で地震とかは勘弁して下さいよ~

(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル 

自分で揺らしてどないすんねん。

 

こんなのも落ちてたりするので、深夜とかに来たらそれこそ地震級の

(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル 

になる自信アリですわ。

 

看板だけじゃなくて墓石も沢山崩れてました・・・。滝汗

 

とはいえ、初めての道を降りてきてお墓に出てきたってことは・・・

 

ふもとが近いってことでもあります。

昼間ですし、少しだけ緊張がほぐれました。

 

いつ頃に祀られたのか、現代を生きる方とのご縁はどうなのか?

なんだかそういう点も少し気になりました。

 

瑞巌寺のお堂の横に出てきました。

無事に下山出来ました。ほっ照れ

 

天狗松

 

出たっ!

徳島名物?

「あそばれん」注意書き。

阿波弁の注意書き、説得力あります。比較的新しい看板なのが嬉しいです。

これからも「あそばれん」使って行きたいですね。

 

瑞巌寺さん、迷い込んじゃってお邪魔しました。

墓碑郡のみなさんもお騒がせいたしました。どうぞやすらかにお眠り下さい。

 

なんだか随分と本来のAコースをショートカットしちゃいましたが、市街地へ出てきました。

ここ瑞巌寺の付近は元外交官でポルトガル人のモラエスさんが住まわれておりました。

せっかくなのでその「モラエス通り」を歩きながら本来のAコース登山口を目指したいと思います。

 

が、ここまでも長くなってしまったので登りはまた次回に。

 

今日も最後まで目を通して下さりありがとうございます。

よかったら続きも見に来て下さいませ。