「ここは退屈迎えに来て」 何が人を退屈にさせるのか | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

走ることについて語るときに僕の書くブログ

タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。


東京に出て10年。なんとなく地元に戻ってきた27歳の「私」(橋本愛)は、同じく東京から戻ってきたカメラマンの須賀(村上淳)と組んで地元タウン誌のライターをしている。
高校時代の親友サツキ(柳ゆり菜)と合流し、高校の人気者だった椎名(成田凌)に会いに行くことになった。道すがら懐かしのゲームセンターに立ち寄ると高校の同級生神保(渡辺大知)がいた。椎名と仲がよかったはずの神保を誘うもののなぜか拒まれる…。



山内マリコの同名小説が原作。彼女の出身地、富山でのロケがほとんどだったと思います。地方都市に住む人々が抱える閉塞感と幸せポイントを彼らの高校時代のエピソードを交えて表そうとしています。
原作を前日にあわてて購入。三分の一くらいしか読めずに観ました。映画は現在と過去を往き来しつつ複数人物が交錯するストーリー…分かりにくい。少しでも読んでおいたほうが分かりやすいと思います。

監督は『花嫁』(09)、『軽蔑』、『きいろいゾウ』(13)、『ストロボ・エッジ』、『さよなら歌舞伎町』(15)、『夏美のホタル』(16)、『PとJK』、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』、『彼女の人生は間違いじゃない』(17)などで知られたベテラン廣木隆一。

なんだか久々な感じのする橋本愛が主演。高校生と27歳を演じます。彼女、実年齢は22歳なんですね。雑誌などで書いてる文章からするとアラサーくらいかなと思い込んでました。精神年齢高いんすね、ゴメンナサイ。

俳優陣に不満なしです。
短い出演時間ながら印象を残す門脇麦。納得の存在感成田凌。かわゆすパンチラ乙、柳ゆり菜。成長著しい渡辺大知は難しい役どころを演じてました。長回しでの橋本愛の香ばしい横顔ショット、ここでエンドマークでよいとさえ思えやした、視線の先にあるものを感じさせる稀有な女優さん。実生活で先をいつも見ているからでしょう。



おそらくですが、
観る人の住処や経歴、経験、年齢などで作品への共感度がかなり違うような気がします。

自分には好きな作品になりました。
「勝手にふるえてろ」「南瓜とマヨネーズ」「レディバード」「桐島、部活やめるってよ」といった「痛々しいらぶ系映画群」中、も一度観たいランクに入る作品ですね。
もちろん自分評価です。


一番気に入ったのはカメラと被写体の距離です。適切な距離から少し引いてる感じ。画面の端っこに余白が出来、カメラのレンズの手前にムダな空間が存在する感じです。
この余白やムダな空間が地方都市の空気感を醸し出してるように思いました。


余計なモノが映り込むんですよね。ファミレスで食事するシーンでも不要な手前のテーブルが写り込んだりする。画面から緊張感が失われ散漫な印象になる。前半は長回しでそんなシーンが続くので多分退屈。車移動とセックスとファミレスでダベる、、、そんなことで時が流れる。でもそれが地方都市。

ネタバレに近いので詳しく書けませんが、「つまんないオトコよ」という山下南(岸井ゆきの)のセリフが作品の要です。このセリフでの南はささやかに幸せそう。ネガティヴなニュアンスはなさそう。ほのかな温かみがあって万感がこめられてる印象。原作には出てこないセリフと思います。つまり映画作品での意図。タイトルに呼応させて「退屈なオトコよ」と言わせたら野暮になったとこ。ナイス。

このセリフと、ラストである人物がある場所でささやくセリフが対比してます。ソコにもあるニュアンスがこめられていますが捉え方は観る人に任せてる感じ。
作品中、様々なセリフが行き交いますがこれら端的な二つのセリフに作品テーマがこめられてます。しかも映画では非主要と思われてた人物が口にするという渋さ。
何が人を退屈にさせるのか?を作品は実に繊細に表してると思いました。もっと言えば何が映画を退屈にさせるのか?と観客に問いを向けてるのかも。


一方で、
不満なのはエンド近くの歌です。要になるセリフは地味にささやかに伝えてるのに歌による伝え方は蛇足にしか思われませんでした。

歌自体は実に好ましいものなのですが作品の中で歌われるとわざとらしくなってしまう。歌とはいえ、コトバになると説明過多。

うん。
映画を楽しむために不要な場面は観ないテクを身につけたオレです。メロディだけ聴くようにしました。延々繰り返されるギターリフ。「永遠の日常」、実にニンゲンらしい。よいじゃないですかソレで。