サム上21章②11~16「不信仰から始まったことは、深刻な問題へと私たちを追い込んでいきます」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上21章11~16節

〔新共同訳〕

アヒメレクのもとでのダビデ】(2)

11ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。 

 

12アキシュの家臣は言った。

この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです。」

 

13ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。 

 

14そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。 

 

15アキシュは家臣に言った。

見てみろ、この男は気が狂っているなぜ連れて来たのだ。 16わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。わたしの前で狂態を見せようとして連れて来たのか。この男をわたしの家に入れようというのか。」

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(聖句雑感)

「変わったふるまい」

「気が狂ったのだと見せかけ」

「ひげによだれ」

「城門の扉をかきむしる」

なんとなく、

後世に現れるバビロンの王「ネブカデネザル」を思い出します。

彼の場合は、ほんとうに獣のようになってしまいますが、ダビデさんは「ふり」です。

 

「ガト=ガテ」とはどういう町でしょうか。

新聖書辞典を開いてみました。

339-340p

ガテ

・「ぶどうしぼり器」という意味。

 

 ペリシテ人の5大都市の一つ。

ヨシュア時代は巨人の種族アナク人が住んでいたようである(ヨシ11:22)。(略)

 

 この町は特にダビデと深い関係を持つ。

まず、ダビデが少年時代に戦った敵ペリシテの代表的勇者ゴリヤテは、この町出身のアナク人だった(Ⅰサム17:4)。ダビデがサウルを避けて落ち延びた最初の町はこのガテであった(Ⅰサム21:10/21:11)

 

最初はガテの王アキシュを恐れ、正気を失ったふりをして逃れるが(Ⅰサム21:11-15/21:12-16)、後、そこに住み着き、1年4か月の間、アキシュに仕えることになった(Ⅰサム27:1-12)

 

この流浪時代にダビデの部下となった兵士を少なくなく、彼がイスラエルの王となって後、逆境にある時にも従った者たちの中に、この町出身の兵が少なくとも600人はいたのである(Ⅱサム15:18)

 

ダビデ軍の最高指揮官の1人この町出身のイタイがいる(Ⅱサム18:2)

 

ダビデはその後、ガテとその周辺の村落を征服した(Ⅰ歴18:1)、両者の間にはその後もしばしば激しい戦いがあったようである(Ⅱサム21:15-22,Ⅰ歴20:4-8)

 

 なお、ペリシテ人に奪われていた神の箱は、ダビデ時代にアシュドデからガテ、ガテからエクロンへ移された(Ⅰサム5:1-12)

 

 ソロモン時代、シムイの2人の奴隷がガテに逃亡しているが(Ⅰ列2:39)、その時の状況は、この町が当時イスラエルの配下にあったことを暗示している。

 

 南王国ユダの初代の王レハブアムは、ユダの町の要塞化計画を推し進めたが、ガテもその一つに入っていた(Ⅱ歴11:8)

 

 ユダの王ヨアシュの時代には、アラム(シリヤ)の王ハザエルの攻撃を受けた(Ⅱ列12:17/12:18)

 

 ユダの王ウジヤは、ガテ城壁を破壊し、この町を征服した(Ⅱ歴26:6)アモ6:2、ミカ1:10のガテに対する言及はこの時代の出来事を指しているのかもしれない。

 

 前711年サルゴン2世は、アシュドデと共にこの町を滅ぼしてしまった。(略)おそらく、前8世紀のアッシリヤによる破滅と共に、この町は歴史の舞台から消えてしまったのであろう。

 

 ガテの正確な位置はいまだ不明。(略)

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ガテの王「アキシュ」とは何者だろう?

 

新聖書辞典13-14p

アキシュ

・「怒る」という意味。

マオクの子でペリシテ人の町ガテの王。

 

詩34篇題目/34:1では「アビメレク」。

この名は王の個人名というより、エジプトのパロのようにペリシテの王を示す一般的な称号かもしれない。

 

ダビデはサウルから逃れて彼のもとに身を寄せたが、身の危険を感じて、気が変になったふりをし、難を逃れた。後にダビデは再びアキシュのもとに行ったが、その時彼はダビデと600人の従者を受け入れ、ユダ南部の町ツィケラグを与えた(Ⅰサム27:1-6).

 

その後、アキシュはサウルの率いる全イスラエルと戦わなければならなくなった時、護衛兵としてダビデの同行を求めたが(Ⅰサム28:1-2)、仲間のペリシテの首長たちの反対にあい、その計画を断念した(Ⅰサム29;1-11)

 

ソロモン時代のガテの王マアカの子アキシュ(Ⅰ列2:39-40)も同一人物と思われる。その場合、父親の名前の違い、マオクとマアカは、発音の相違に起因したものと思われる。

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ガテの王アキシュは、ダビデさんがお気に入りだった様子です。

600人の従者と共に受け入れ一つの町を与えるほどです。さらに、イスラエルとの戦いにイスラエル人ダビデをお供させようというのは、素人目にも無理がありますが、よほど信頼していたのか、それとも、ダビデさんを試そうとしたのか?

 

アキシュ王のふところが深かったのか、それとも、ダビデさんの人格と戦略の勝るところだったのか、さすがにサウル王さまもそうそうは手を出せない場所に身を置くことができたように思えるダビデさんです。

 

その一歩が、「気が狂った」ふり、だった。

よだれをたらし、門の扉をかきむしる。

おもいきった行動です。

 

成功する人は、どんなことでもやるし、出来るのだなぁ、と私は単純にそう思いました。「命」がかかれば誰でもできる、ってことでもないようにも思います。

 

「生き抜く」ことに焦点をあてれば、

あるいは、人は どんなことでもできるのかな。

 

「気が狂った」をしたダビデさんを

忘れないでおこう…。

 

そんなこと思いました。

ハレルヤ

 

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解説を見てみました。

 

新実用聖書注解458p

エルサレムから北東へわずか行った所にある祭司の町ノブで「まやかしを避け所」としたダビデは、ペリシテの五大都市の1つガテまで逃れ、そこでも「偽り」の演技で身を守ろうとした(13)

彼の正体が、ペリシテ人にすぐばれてしまったからである(11)

彼らは、自分たちの町出身の英雄ゴリヤテを、わずか石1つで打ち倒したダビデを、すでに「王」と呼んでいた

 

この苦しい演技で、ガテの王アキシュのもとからやっとの思いで逃げ出したダビデは、その後、主の前に悔い改め、主への信頼を新たにしたようである(参照 詩34篇表題,34:4,18,56編表題,56:3-4)

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詩篇34表題(新共同訳)

ダビデの詩。

ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたとき

34:5(新共同訳)

わたしは主に求め

主は答えてくださった。

脅かすものから常に救い出してくださった。

34:19(新共同訳)

主は打ち砕かれた心に近くいまし

悔いる霊を救ってくださる

詩篇56表題(新共同訳)

指揮者によって、「はるかな沈黙の鳩」に合わせて、

ダビデの詩。ミクタム。

ダビデがガトでペリシテ人に捕らえられたとき

56:4-5(新共同訳)

恐れをいだくとき

わたしはあなたに依り頼みます

神の御言葉を賛美します。

神に依り頼めば恐れはありません。

肉にすぎな者が

わたしに何をなしえましょう

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

BIBLEnavi265p

ガテはペリシテの5大都市の1つ。

なぜペリシテ人は大敵ダビデを自分たちの宿営に迎えたのだろうか

 

ペリシテ人は当初、軍の大将であった離脱者を受け入れることを喜んだことだろう。彼らはダビデが油注がれたイスラエルの次王であることを知っていたはずはない(16:13)。しかしまもなく、ペリシテ人はダビデの存在が気になり始めた。結局のところ、彼はペリシテ人を何千人も殺していた(18:7)

 

ダビデは次に、狂気を装って身を守った

精神的に不安定な人々を傷つけないのが慣習だった

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clay解説全文

ガテでのダビデ

ダビデの演技

サウルを恐れていたダビデは、ペリシテの五大都市の一つガテまでのがれます。ここは、ゴリヤテの故郷でもありました。そこにダビデがゴリヤテの剣を帯びて行ったのです

 

(1)ダビデには、ガテの王アキシュを信頼してもよいというなんらかの確信があったのでしょう。

 

(2)しかし、ダビデの正体は、すぐにペリシテ人にばれてしまいます。彼らは、ペリシテ人の英雄ゴリヤテを、石投げ器だけで打ち倒したダビデのことをよく覚えていたのです

 

(3)彼らはダビデのことを、「王」と呼んでいます。実際はサウルが王なのですが、ペリシテ人たちにとっては、ダビデこそ王のように見えたのです。

 

(4)正体がばれたダビデは、ガテの王アキシュを非常に恐れますそして、狂人を装った苦しい演技で、やっとの思いでそこを逃げ出します


この出来事の中にも、ダビデの信仰の揺らぎが見えます

 

不信仰から始まったことは、より深刻な問題へと私たちを追い込んでいきます

 

悔い改めをもって、原点に立ち返ることが必要です

 

単純な信仰こそ、最終的に私たちを勝利へと導く力です

 

詩篇56篇、34篇

その後、ダビデは主の前に悔い改めたようです。彼は、主への信頼を回復し、珠玉の詩篇を二つ書きました。それが詩篇56篇と、34篇です。ぜひこれらの詩篇を読んでください。順番は、56篇、34篇がいいと思います。

 

人生で遭遇する苦難は、麗しいものを生み出す原動力となります

 

もしダビデがこの苦難に会っていなければ、これらの詩篇が生まれていなかったことを思い、苦難に対する自らの姿勢を正しましょう


詩篇34篇には、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある」とあります

 

あなたは、あらゆる時に主をほめたたえていますか

 

賛美は感情ではなく、決断です

 

どんな時にも、主を賛美することを決断し、それを実行するのです

 

そうすれば、人知を超えた主からの平安が私たちの心に満ち溢れるようになります

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きょうの祈り

天の父なる神さま。どうか、あらゆる時にあなたを賛美することができますように、私の決断を祝してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

サムエル記第一10~11、ルカの福音書22

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2024年5月26日(日)☁27℃

 

今日は5月最後の日曜日。

 

台風1号が発生するようですネ。

今年の台風1号は遅れに遅れたようですネ。

梅雨前線を刺激して日本列島大雨の予報。

 

また、節水の警報も解除となりましたそうな。

ダムの貯水率は平年並みに戻ったそうです。

これからの台風シーズン。

「断水」もなく 無事に今年は乗り切れそうですネ。

感謝でした。

 

今度は、災害シーズンに向けてまた

気を引き締めていくことになりそうです。

 

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今回のclayさんのお勧め。

 

「不信仰」なとき、

それゆえにしょいこんだ「苦難」も

初心や原点に戻れば

回復可能だと教えています。

 

「単純な信仰」こそ勝利の秘訣。

 

また、「賛美」は「感情」ではなく

「決断」なのだと教えています。

 

強い「意志」であることを教えられます。

まさに、「戦い」なのだと教えられます。

 

もろく危い「感情」に騙されないように

注意したいものです。

 

どんな時にも主を賛美することを「決断」し、

それを「実行」すること。

アーメンです。

 

また、慰めとなるは、

「苦難」は「麗しいもの」を生み出す、

と教えています。

「苦難」のなかに「原動力」が潜んでいる。

 

「苦難」の中からその「力」を引き出すには、

「単純な信仰」、「感情ではなく決断」。

「決断」と「実行」。

 

ハレルヤ

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

主イエス・キリストの御名によって

「あらゆるときに主を褒め称える」ことができますように。

アーメン