<新共同訳>
【大きな苦難を予告する】(1)
(マコ13:14-23、ルカ21:20-24)
〔The Awful Horror〕
15「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら---読者は悟れ---、16そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。 18畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。 19それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 20逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
21そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。 22神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。 しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
23そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
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<clay>
大患難時代後半の3年半の特徴
・「荒らす憎むべき者」の登場
(ダニ12:11、Ⅱテサ2:3~10、黙13:11~15)
反キリストが神殿に着座し自らを「神」とする。
・ユダヤ人たちへの逃亡命令
(黙12章)
・世界規模のユダヤ人迫害のスタート
サタンによるメシア再臨の妨害工作
・メシア再臨の噂への警告
(再臨は誰もが認識できる状態で起こる)
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《復讐》
・携挙の時期は不明
・第一次世界大戦以降、終末時代突入
・「反キリストとイスラエルの契約」で大患難時代の幕があがる
・ユダヤ人迫害のスタート
・メシア再臨の噂(信じてはならない)
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長いですが、
貼付させて頂きました。
※「牧師の書斎」マタイⅢ104※
参照リンク先
→世の終わりのしるしとしての「大患難」 - 牧師の書斎 (secret.jp)
●オリーブ山の説教の第二回目は、マタイの福音書24章15~31節に記されている「世の終わりのしるし」、すなわち「大患難」です。
「世の終わり」とは「エルサレムにおける異邦人の支配の終わり」を意味するものです。そして、それは以下のみことばが回復することです。
【新改訳2017】
詩篇132篇13~14節
13 【主】はシオンを選び それをご自分の住まいとして望まれた。
14 「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。・・」
●神の都エルサレム(シオン)に対する神のみこころは永遠に変わりません。ところが、長い間、そこが異邦人に支配されて来たのです。バビロン捕囚から始まって、メディア・ペルシア、ギリシア、ローマ、そして今日に至ってもそうです。しかしやがて異邦人の支配が終わる時が来ます。それが「世の終わり」です。そのしるしは獣と呼ばれる反キリストの「大患難」によって「終わる」のです。
それは創世記1章2節にあるように、まさに「地は茫漠として何もない」(「トーフー・ヴァヴォーフー」תֹהוּ וָבֹהוּ)という状態になります。
そこに神ガ言われた「わたしはダビデのために一つの角を生えさせる。わたしに油注がれた者(メシア)のためにともしびを整える。わたしは彼の敵(サタン)に恥をまとわせる。しかし彼(メシア)の上には王冠が光り輝く。」(詩篇132:17~18)ということが実現されるのです。
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1. 『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立つのを見たら
【新改訳2017】
マタイの福音書24章15節
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──
●イェシュアはここで「読者はよく理解せよ」(以前の訳は「読者はよく読み取るように」)と付け加えています。なぜイェシュアがそのように付け加えたかといえば、ダニエルの預言を誤解しないようにという配慮からです。もし、このダニエルの預言をA.D.70年のローマのタイタスによるエルサレムの崩壊として理解するだけならば、正しく理解したことにならないからです。タイタスの時にはその一部が成就したにすぎません。その証拠に「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら」、つまり、神殿に忌むべき偶像が置かれたならば、それからメシアが出現するまでの期間は、三年半です。従ってこの預言がタイタスに対するものだけであるなら、すでにエルサレムにおける異邦人の支配は終わっていることになります。しかし異邦人の支配はいまだに続いています。本当の「終わり」(「ホ・テロス」ὁ τέλος)はこれからなのです。
●イェシュアが語ったのはダニエル書9章27節のみことばです。実は原文を見るととても難しいのです。それが以下の訳文にもよく表わされています。大きく異なっている所は太字の部分です。
【新改訳2017】
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。
【新共同訳】
彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」
【回復訳】
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結ぶ、その週の半ばに、彼は犠牲と供え物をやめさせ、その犠牲と供え物を、荒らす者の忌むべきものに置き換え、ついにさだめられていた完全な破壊が、荒らす者の上に注ぎだされる。
●新改訳の「現れる」、新共同訳の「座す」、回復訳の「置き換え」は原文にはありません。また「翼の上に」という意味がはっきりしません。おそらくマタイがこの箇所を「『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら」と記していなければ、解釈が難しいです。「荒らす忌まわしいもの」とは偶像です。そしてその偶像が「聖なる所に立つ」とは神殿の至聖所に置かれることを意味します。回復訳の「その犠牲と供え物を、荒らす者の忌むべきものに置き換え」の訳が比較的分かりやすいです。そのようなことが起こったなら、未曽有の大患難が到来するのです。
2. 未曽有の大きな苦難(大患難)の到来
【新改訳2017】
マタイの福音書24章16~21節
16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。
17 屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません。
18 畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。
19 それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。
20 あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい。
21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。
22 もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。
(1) 大患難に対する対処
●『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たなら、それが大患難のはじまりなのです。訳文にはありませんが、原文は「そのとき、ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい」と冒頭に接続詞が入っています。つまり、即刻、ユダヤ人に対する迫害が始まることを示しています。イェシュアは反キリストの台頭に対して、「山に逃げよ」と警告しました。事実、ローマのタイタスの時にはユダヤ人はオリーブ山に逃げたそうですが、黙示録12章6節では「女(=イスラエル)は荒野に逃れた」とあります。「逃げよ」「逃れた」も同じ「フューゴー」(φεύγω)という語彙です。その逃れた場所とは今日のヨルダン南部にある「ボツラ」(ギリシア語では「ペトラ」)です。ボツラ(בָּצְרָה)は「エドムの町の主要都市の一つ」であり、セイル山の山脈の中にあります。す。「ボツラ」という語彙には「囲い、(羊の)おり」(ミカ2:12)という意味があります。語源の「バーツァル」(בָּצַר)は、「堅固にする、近寄りがたくする」といった「要害」としての意味合いがあります。
●ところが、「蛇はその口から、女のうしろへ水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした」(黙12:15)とあります。蛇とは反キリストで、女はイスラエルのことです。「水」「大水」は反キリストが集めた諸国の軍勢を意味します。しかし、「女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった」とあるように、女イスラエルが産みの苦しみによって産んだイスラエルの残りの者を、神は反キリストの軍勢から守ります。彼らはやがて「恵みと嘆願の霊」(ゼカリヤ書12:10)によってイェシュアがメシアであることを悟り、悔い改め、その名を呼び求めます。反キリストはエルサレムを破壊するだけでなく、ボツラに隠れているイスラエルの残りの者たちを攻撃しようと軍勢を派遣します。しかし、その場所にメシアが地上再臨され、イスラエルの残りの者たちは助け出されるのです。そのあとにメシアはオリーブ山に立ち(ゼカリヤ14:4)、反キリストとその軍勢を滅ぼされます。このことを記しているのが黙示録19章11~21節ですが、今回はそこを割愛します。
●いずれにしても、反キリストによる未曽有と言われる大患難は一刻の猶予もないことが、「屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません」、「畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません」、「それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです」ということばに表されています。特に、身重の女たちや乳飲み子を持つ女たちは、急いで逃げることができないので、イェシュアは「哀れ」(不幸、悲惨)だと言っています。また、「あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい」とも言っています。冬は野宿もできないため、冬に逃げることは死を意味します。また「安息日」を守ろうとすることも、全く意味をなさないことを警告しています。「安息日」とあることから、この話がユダヤ人に向けられたものであることを再度証明しています。とにかく「逃げよ」、もたもたしていてはならないということです。なぜなら、「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(21節)
●私たちの想像を超えた苦難の到来です。これまでも、ユダヤ人は異邦人から多くの迫害を受けてきました。しかしここでは「世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難」と言っています。
なにゆえに、ユダヤ人は迫害を受けて来たのでしょうか。いろいろな理由が考えられますが、真の理由は霊的なものです。つまり、神の敵であるサタンによって攻撃の的とされたからです。ユダヤ人の先祖であるアブラハムが神から召し出されたときのことばを見てみましょう。
【新改訳2017】
創世記12章1~3節
1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。
●サタンがユダヤ人を迫害する最大の理由は、アブラハムに対する神の約束にあります。それは、アブラハムとその子孫が「地のすべての部族を祝福する者となる」からです。「祝福する」という務めは、祭司の務めです。神の祝福を分け与える民となるという約束のゆえに、サタンはそれを妨害するのです。彼らが迫害される理由は、その背景に神とサタンの戦いがあるからなのです。
●神である主は、「アブラハムを祝福する者を祝福し、アブラハムを呪う者をのろう」と言っています。漢字で記された「呪う」には「軽んじる」を意味する「カーラル」(קָלַל)が使われています。一方、ひらがなで記される「のろう」は「アーラル」(אָרַר)が使われています。創世記3章14節で蛇がのろわれた「のろい」がそうです。蛇であるサタンに対するのろいは、「永遠に苦しみを受けて火の池に投げ込まれる」定めにあるということです。それゆえユダヤ人の存在をサタンは徹底的に憎んでいるのです。しかし、神はユダヤ人を絶対に見捨てることはありません。なぜなら、神がユダヤ人をこの地を祝福するための祭司としてお定めになられたからです。
(2) 大患難の期間
●未曽有の大患難はいつまで続くのでしょうか。マタイ24章22節を見ると「もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たち(=イスラエルの残りの者たち)のために、その日数は少なくされます。」とあります。「少なくされます」とありますが、その期間はどれほどでしょうか。
大患難は、27節の「人の子の到来」までです。29節には「そうした苦難の日々の後、ただちに」、30節には「そのとき、人の子のしるしが天に現れます」とあり、大患難の後に直ちに主が再臨(地上再臨)されることが語れています。
●大患難の期間については、聖書のいろいろな箇所で明らかにされています。
①黙 11章2節 「神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。それは異邦人に与えられているからだ。彼らは聖なる都を四十二か月の間、踏みにじることになる。」(=都と神殿は破壊される)
②黙11章3節 「わたしがそれを許すので、わたしの二人の証人は、粗布をまとって千二百六十日間、預言する。」(但し、ここは七年間の前半の期間です)
③黙12章6節 「女は荒野に逃れた。そこには、千二百六十日の間、人々が彼女を養うようにと、神によって備えられた場所があった。」
④黙12章14節「しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった。」
⑤黙 13章5節 「この獣には、大言壮語して冒涜のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。」
●以上のように、黙示録では「四十二か月の間」「千二百六十日間」「一時と二時と半時の間」ということばで、三年半を表わしています。イェシュアの公生涯も三年半であったので、サタンの反抗も同じ三年半とされたようです。但し一箇所だけ、「常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。」(ダニエル12:11)と記されています。「千二百六十日」よりも「一か月間」多くなっています。このことは何を意味するのでしょうか。
ウオッチマン・ニーは「この一か月間は、患難後の羊とやぎのさばきを指している」と解釈しています(マタイ25章31~46節)。この箇所はイスラエル人に対して、異邦人がどのように取り扱ったかを記している箇所であり、私もこの解釈に同意します。
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あ~、
とても 難解。私には。
申しわけありませんが、
わかりません・・・。
(-.-)
なんとな~く、おぼろげに。
それでも、
少しずつ 理解できましたら
幸いです。
ただ言えることは、
「『ユダヤ人』って、たいへん」
・・・・
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とにかく、
かならず 「そのとき」は来るのですヨネ。
考えてみれば、
日本人は、度重なる「地震」によって
普段から 「有事の備え」を意識づけられてきています。
まだまだ、個人差はあると思いますが、
ある意味、日本人って凄いかも、って思えました。
別の意味で、
クリスチャンもクリスチャンなりに
「備え」を示され続けています。
クリスチャンの「備え」
どのような「心構え」で
日々を生きるべき?なのか。
今更ながら思わされた
今日の御言葉と解説でした・・。
気を引き締めたいです。
(-_-)
(雑感)
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天の父なる神さま。明確な将来への展望を与えてくださり、感謝します。地上生涯の先に、さらに祝福された世界があることを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
歴代誌 第一26~27、詩篇137 ~ 138
本日も配信ありがとうございました。
m(_ _)m
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12月11日(土)
今夜は 暖かい気がします。
明日もよき日となりますように。
ハレルヤ
御名を崇めて感謝致します。