2004年11月16日

11/11

テーマ:現地の記録
全国から寄せられた支援物資です。
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2004年11月16日

11/9の写真

テーマ:現地の記録
手作業を交えて、昨日から再開しているそうです!(ToT)

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2004年11月16日

11/9その2

テーマ:現地の記録
醤油が大被害を受けたそうです
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2004年11月16日

11/9の写真

テーマ:現地の記録
酒造も大被害…
壁が落ちました。
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2004年10月25日

やがて朝が来た。

テーマ:現地の記録
1階に降りると、他のボランティアの姿も見えず、
近くにあった川沿いの公園で野宿しようと思って
市役所の玄関を出ようとしました。
すると、そこに物資のトラックが。
その回りに市役所の職員さんが。
(もうかなり疲れた表情でした。)

「手伝っても良いですか?」と聞いて、
毛布、水、食料…と次々に来る大きなトラックから
ばんばん荷物を運びました。
1台、また1台と途切れないトラック。
少しの休憩時間は役所の玄関で座りこんでました。

その間にも大きな余震は途切れず、
その度に「地震が発生しました」という
機械の声が警備員室から響き…

物資を運ぶうち、出会った一人のボランティア。
彼は東京から駆けつけ、私と同じように
受付時間が終わっていて、明日の朝まで時間があるから
手伝っているとのことでした。
よく聞くと、沖縄出身!(しかも同い年、隣街)

やがて朝が来ました。
朝食は大混雑。
避難されている方、付近の住民の方。。。
あとからあとから、人がやってきます。
一人当たり、水500ml、ごはん1パック、パン一つ。
昨日から食事ははじめて、とか
いろんな方がいらっしゃいます。

それからはゴミも山積みになるだろう、と
ゴミ袋をとりかえて回ったり、
到着物資を数えたり。
朝になって集まって来たボランティアさんと
ばたばた時間を過ごしていました。



もともと、『何かできないか』で出発した私。

短いながらも避難所にいたこともあるし、
ライフラインのない生活の中でのアイディアも、
どこかで、『今』、みんながあまり来れない
今こそ必要なものがあると思い、被災地をめざしました。

初動の数日間は、これで良かったと思います。
その都度、できることがあればやる。

自己満足になりそうだったら、帰ろうと。
でも、せめて物資が不足しているだろう今は、
モノだけでも届けに行こうと思いました。

この長岡市の朝、持って来た物資の一部を
避難されている方、役所に来られた方にお渡ししました。

そして、8時半。
近くのグラウンドにヘリが来て、
その物資をおろすお手伝いに行くと、
驚くべき光景がそこにはありました。

朝のニュースだかなんだか、
バケツリレーのように物資をおろす人の列に
近くまで迫って、カメラをまわす報道陣。
ヘリのプロペラ音と、砂ぼこり、疲労。
そんな中でがんばってる人を手伝うでもなく、
コートのポケットに手を入れて、あるいは
メモをとりながらこちらを見ている姿が
なんとも言えない、憤りを覚えたのです。

すべてがそうではなかったかもしれない。
でも、少なくとも私の近くにあった光景です。


そろそろ登録に行こう、と
さっきのボランティアさんに声をかけ、
無線で呼んでもらったタクシーに乗りました。

タクシーに乗って、ふっと気付くと
腕は青あざだらけ。
ダンボールやケースが当たって、
切り傷、擦り傷、青あざだらけ。
ふたりとも、です。
思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。

『長岡市、総合福祉センターまで』

そう告げて乗ったタクシーは、
実は、総合福祉センターには行きませんでした。
そのお話は、またのちほど。(11/27記)
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2004年10月25日

そして夜が来て。

テーマ:現地の記録
もういくつ握ったかと
数える余裕もありません。

途中、おかしや牛乳を頂きながらの作業。
次から次から炊き上がるご飯に加え、
クーラーボックスに入ったご飯が届きます。

えぇ~!!
でも、あとから入った私が
一番にへこたれるわけにはいかない!!
と思いながらも、ふらふらふら…

やがて、日が暮れた頃、
小千谷まで一緒に来た男の子が呼びに来ました。
「ボランティア(の活動時間)は、終わりって~!」
役所の方々はまだおにぎりを握ってらっしゃいましたが、
とりあえず区切りのいいところまで参加させていただいて、
役所の入り口のところまで戻りました。

お弁当をいただいて、腰を下ろそうと周りを見ると、
どこかから懐かしい関西弁。
和歌山の梅農家有志のメンバーだそうで…
*このメンバーとはのちのち、ずっとお世話になることになります。

夕食後、あ、そうだ!と、
持って来た物資からコーヒーを涌かし、
さっそくまわりに配ると、結構喜ばれました。
その間にもトラックがひっきりなしに入ってきます。

夜10時頃、案内していただいた役所の一角で
寝袋を広げて休ませていただきました。

夜中も、物資が入って来ていたようです。
役所の職員さんが倒れないか、本当に心配でしたが…

(12/1記)
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2004年10月25日

小千谷に着いた!

テーマ:現地の記録
タクシーに乗ると、
ひっきりなしにラジオから災害情報が流れています。

タクシーの運転手さんは長岡の方で、
自宅は大丈夫だったけど、大変な揺れだった!
と話してくださいました。

その話の中で、被害状況のお話も伺いました。
ここ長岡の市役所付近はもう電気が復旧しているが
隣の小千谷などはもっとひどかったよ、と。

ん?ひどかった?
行けるのですか?

思わず、身を乗り出して聞くと
今朝なんとか道を迂回していってきた、とのこと。
もうすぐそこまで福祉センターは見えていたのですが…

「小千谷へ行こう」

すぐに新潟県のボランティアセンターに電話すると、
意外な返事が。
「小千谷市は、受け入れができるような状況ではありませんので
長岡や、栃尾などでは…」
被災状況がひどく、受け入れすら整わないというのだ。
ならば、物資もまだまだ届かないに違いない。

何往復してもいい。
行けるところまででいい。
今この手に持っているものをすべて届けたい。

タクシーは山古志への標識を過ぎました。
「あっちもひどいことになっています」
運転手さんが山崩れした川沿いの道を指差す。

それでも山古志は道も完全に通れなくて、
通行止め箇所から10km歩かないと集落につかないと言われ
まずは小千谷へ、と決めました。

そして、小千谷市役所へ。
すごい数の報道用中継車。炊き出しの自衛隊の車。
そして、人…人…人。
ボランティアは受け入れていないとのことだったのですが
1Fに受付がある、とすぐに案内していただきました。

私が案内された先は、
自衛隊の炊き出しでした。

車庫にいくつもテーブルを置いて、5・6人のグループで
次から次ヘとおにぎりを握るのです。
それを50個づつビニールに入れて数え、
避難所へ配達する車に積み込む、という作業です。

前日ほぼ徹夜で荷物運びをしていた私は
おにぎり作業と聞いて
内心、不謹慎ながら
「楽勝!」と思っていました。

が、そんな甘いものではありませんでした。

次から次へと、大きな、
あの給食のご飯を入れるような入れ物に
どん、と入った炊きたてのご飯。
このアツアツをラップにとって、握る。

その数合計、おそらく数万個です。

私はここに昼前に加わったのですが、
作業自体は朝早くから行われていたと聞きました。

そしてどうなったか。
つづきはまた…(11/29記)
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2004年10月24日

長い1日は。終わらない。

テーマ:現地の記録
新潟を目指す道中も、
ほんとにいろいろありました。

まず、郡山まではあっさり行けたのです。
上越新幹線は越後湯沢までしか通っていないと言うことで
東北新幹線に生まれて初めて乗って、
郡山まで新幹線。
その後の接続が地獄で。

郡山駅でホームを移ろうとすると、
もう、東京駅のような人の波。
新潟方面にはここからしかもう行けないからか、
すごい人です。しかもみんな、すごい荷物。
負けては乗れないと私もダッシュ。
この時間がわずか10分弱。
本当はここで郵便局に…とか考えていたのですが
そんな暇はかけらもありませんでした。
3両編成の短い電車がぎゅうぎゅうです。
1時間むぅっとした熱気がこもる電車で過ごし、
荷物はまだリュック一つだったのですが…重い!!
乗客の会話の端々に『新潟』の文字が。

そして会津若松に着くと、すごい人!
…っと思ったら、隣のホームにSLが!!
そのまわりに、すごい人。。
あぁ、これだったのね。と思いながら
歩いていると、駅の向こうにスーパーが!!
時刻表を見ると、私の乗る電車は
20分後に1本と、1時間半後に1本。
1本見逃して、買い出しすることに決定。

一度スーパーに入ると、
『あれもいりそう、これもいりそう』と
荷物は増えるばかり。
覚えている限りでは
*カセットコンロ2つ
*フライパン(28cm深め)
*断熱シート3畳
*カセットコンロボンベ15本
*オムツ/生理用品
*キッチンペーパー4本/ティッシュ5箱
*割り箸/紙コップ100個
*おかし(ビスコ大袋2つ)
*カルピス(濃縮) 2本
*コーンスープ(10袋)
*みそしる(20袋)
*水 2?×4本
*はちみつ/レモン100% 1本づつ
*インスタントコーヒー/砂糖とミルク
*紅茶
*画用紙とペン
*ガムテープとはさみ、ビニール紐
*カイロ100個/マスク
*のどあめ
*アンメルツ
*軍手10束
*懐中電灯2つ+電池
*おしりふき3パック(ウェットティッシュとして)
*ポカリ粉 3つ

…などなど。(まだあり)
とりあえず買ったものの……重い!!
持てるはずもなく、でも持つしかなく。
75?のゴミ袋4つ分ぐらいの荷物をひきずり、
改札を無理矢理通って、電車に乗り込むと
ちょうどドアの所にすぽっとおさまることが出来ました。
もちろん、この電車もぎゅうぎゅうで、
ずいぶん荷物の多さにはひんしゅくを買いましたが
この電車も駅と駅との間が長いので…

暑い!!

駅のたびに、押しボタン式の扉を
おりる人はいないけれど開けて、空気の入れ替えをしたり。
そしてその間に、友人がこの電車の終点、
新津から被災地へ入る方法を模索してくれていました。

友人の案では、東三条まで電車で行って、その後レンタカー、
だったのですが、東三条まで行くと営業時間が終わってしまう。
ということで、新津のレンタカー会社に連絡をしてもらい、
電車が遅れている旨を伝えて、なんとか待ってもらって
新津に着いたのは20時過ぎ。
で、そこから改札までその荷物を持って上がるのに5分(爆)

そして駅徒歩5分のレンタカー会社まで15分(笑)

カウンターのお姉さんに、手続きをしてもらいながら
長岡方面へ入りたいこと、
またいつまでと言う予定は立てていないことを伝えると
道を知らないのに今から車で向かうのは危険だと、
新潟まで電車は通っているから、そこで1泊するなどして
後を考えてはどうかと言う話をしてくれました。

考えた結果、まる2日で約2万円飛んでしまうと言うこと、
お姉さんの言う通り道を知らないと言うことで
やっぱり車は借りずに、新潟まで行くことにしました。
閉店時間を過ぎて待っててもらったのにごめんなさいと
店を出ようとすると、お姉さんがばたばたと走って外へ。
「今なら次の電車に間に合うかも!送ります!」

まぢ?

車は借りなかったのに…しかも迷惑かけたのに…

「がんばってくださいねぇ!気を付けて!」
さっき15分賭けて歩いた距離を、車で2分。
さっそうとお姉さんは帰って行きました。
駅の階段を上がりながら、ちょっと疲れが飛んだ気分。
なんだか心が温まる、というのはこう言うのを言うんだと
自分の中で感動しながら、新潟を目指す。

その間に、長岡への代替バス運行情報を得て、
新潟駅を下りて、まずダッシュでバス乗り場へ。
(…途中でダッシュで新潟の地図を買う。)
20:40にやっと乗り場に着いたら
ぽつぽつ人が集まっていて、
『最終21:00』の文字。

ラッキ~!!

ベンチの横にどさっと荷物を下ろすと
ベンチに座っていたお母さんと高校生ぐらいの娘さんが「座りませんか?」
と声をかけてくれました。

荷物の多さにさすがにびっくりされたようで
沖縄から茨城を経て来たことを告げ、いろんな話をしました。
その方は、東京にたまたま行かれていて、
その時に地震にあい、急いで戻られたそうです。
でも、なかなか戻れず、
山形経由で私の倍ぐらい時間をかけて
やっと新潟に着いたと言うお話をされていました。

その親子さんに手伝って頂いて、なんとかバスに乗ると、
車掌さんが
『こんな道路事情ですので、途中で高速を下りて下道を走ります。
到着も大幅に遅れていますことをご了承下さい。
私が先ほど長岡から戻るのにも2時間半かかっております。』
と、前置き。
「えぇ~!」という雰囲気が流れ、バスが発車。

いろいろ話しながら長岡を目指す途中で
友人が送ってくれた番号から
新潟県の災害ボランティア本部に電話を入れて
長岡市役所を紹介してもらいました。

…てなわけで、長岡市役所に行くことになりました、と言うと
そのお母さんが、駅に旦那さんが迎えにこられるので
よかったら送りますよ、と言って下さいました。

あっ…ありがたい!!

長岡駅に着いて、そこから旦那さんまでが快く荷物を運んで下さり、
市役所まで送って下さいました。

市役所はたくさんの避難されている方でいっぱい。
もう23:30ということもあって、お休みになっていました。
さっきのお母さんが起きてらっしゃる役所の方に
とりあえずボラセンを聞いて下さって
2階の受付まで荷物を運んで下さいました。


もう、この偶然に驚くやら、感動するやら。

ふっと気付くと、東京を離れる時に
先輩がくれた沖縄のお菓子が一袋。
サーターアンダギー。
たくさんの感謝を込めて、お渡ししてきました。

で、お見送りしてから、勢い良く向きを変え
『すみませーん!』と受付に声をかけると
女子職員の方が丁寧に説明して下さいました。
ボランティアの受付はここではなく
総合福祉センターの方で明日9時から行うと言うこと。
地図もコピーして下さいました。

あ、ありがとうございますー。
と、地図を受け取って絶句。


え?明日?9時から???

…ってことは、今夜はどうすれば良いんだ!?
この寒さで、野宿ですかい?

荷物をとりあえず置かせてもらって、1階へおりる私。
『寝る場所とか、大丈夫ですか~?」の問いに
なぜか『だいじょうぶですっ!』と笑顔で答える私…

さぁ、どうするつもりなんだろう、私…
長い夜は続きます。(11/26記)

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2004年10月24日

そして長かった24日。

テーマ:現地の記録
さてさて、交通の寸断されている中、
どうやって私が新潟の地を踏んだか。

それは他ならぬ友の『遠隔操作』です。

もともと鉄道に詳しい友人が同行してくれるとのことだったのですが
やはり仕事の都合上難しいと言うことで
自分が行ったつもりで少しカンパするから、
あとは携帯で交通情報などを調べて送ってくれたのです。

持つべきものは、友ですね~。(T_T)

一方、東京駅で落ち合った友人(と、そのお母さん)とお茶をし
私はまるで出征前の兵隊のように緊張していました。
『『行く!』って言ったものの………どうなるんだろう!!

正直な話、旅行の最終日で財布も寒く(爆)
その友人のお母さんにカンパをいただいた上に
現金をお借りして、ようやく出発の手はずが整ったのです。
おそらく現地ではATMなど稼働していないでしょうから
そこまでに現金が必要だろう、と用意して下さったのです。
(本当に、ありがとうございます。m(_ _)m

と言うわけで、

東京~郡山
郡山~会津若松 
会津若松~新津 約2時間半
新津~新潟

と、福島経由で新潟駅を目指し、
新潟駅からはバスで長岡まで。
臨時運行バスが、なんとか動いていて
しかも新潟駅に着いたのが20:40。
最終バスは21:00。セーフ!!
運転手さんが『このような状況で、時間通りに到着しないと思われますが…』と前置き。
2時間かかって長岡に。

途中の新潟駅はいたって普通で、
本当にここで地震があったのかと思うくらいでした。
でも、長岡駅に着いた時に、
駅にうっすらと明かりがついているのに、
『立ち入り禁止』の文字。
傾いた電柱に、真っ暗な街。(一部は電気がついていましたが)

本当の『震災にっき』はここから。
でも、その道中でもいっぱいドラマがありました。
つづきはのちほど。(11/26記)
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