話しは今から30年前に遡る。
私は4年間務めた看護師を寿退職して、
福岡から横浜に移り住み、
新婚生活を専業主婦としてスタートした。
毎朝、東京の本社に通う夫を、
まだ暗いうちに送り出していた。
行ってらっしゃーい❣️
という私に、
おやすみ。
と言う夫。
このあと二度寝するからね。(^◇^;)
でも仕方ないじゃん、
早朝から掃除機、洗濯機、
ガーガーできないし。
こんな風に、しばらくは
3食、朝寝、昼寝付きのお気楽な生活を
満喫していた。
しかし、
私の中には明治生まれの
働き者(貧乏症?)のばあちゃん
の血が流れているのか、
自分の家の家事だけでは物足りなくなり、
何か、軽くパートでも、
と考えていた頃、
要請キタ➖‼️
同じく神奈川県に住む、
義兄の嫁から、
ギックリ腰やらかしたから(;´д`)
ヘルプ〜の電話が。
義兄の家には、一度訪問したことがあり
一人息子の3歳のお誕生日を
一緒にお祝いした。🎂🎁
そんなこともあり、
義姉も私に頼ってくれたよう。
要請受けて、
暇を持て余していた私は
ホイホイと2つ返事で、
電車乗り継ぎ、
義兄の家に再び訪れた。
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
義姉のリクエストで、
掃除、買い物、観葉植物の移動、
お昼には焼きそばを作り、
義甥っ子のお相手をこなし、
大変感謝された。
後日、義姉が実家の福岡に帰ることに
なり、(妊娠が分かって)
再び要請。
荷物と義甥を抱えて空港まで付き添った。
ちなみに
電車の中でグズって、抱っこした義甥は
今やお医者さん。
感無量ー。
このことは、
今にして思えば
訪問ヘルパーの走りだった。
さて、
パートの仕事を探していた私だが、
義姉に続いて私も妊娠が分かり、
職につくことなく、
つわりと戦う日々に突入するのだった。