自分の頭の中のことを文字に起こし、文章にしたことがないからどのような形にするべきかがわからないけれどとりあえず書いていきたい。
私は人にどういう人ですかと聞かれたらナルシストであると答えるのが簡単かと思っている。
これは自分の感覚とは正確に合致するわけではないけれど、こう伝えると「あぁ、自分のことが好きなんだ」とすぐわかってもらえるのではないかと期待して、実際に使う。
正確には「自分のことが好き」な人だと思う。
ナルシストと何が違うのかと思うかもしれないが、ナルシストは「自分のことが好き」というニュアンスの他にネガティブな印象が含まれる点で異なる。
ここで、ネガティブな印象を含むナルシストという言葉が正確に合致しないと言っている時点で「自分のことが好き」という性質がかいま見えるであろう。
自分の思考・行動の原理は「自分のことが好き」という点に帰ってくる。
では、自分のどこが好きか。
容姿を気に入っている。
こんな「自分のことが好き」と考えつく思考についても好きだ。
情報処理能力にも満足している。
趣味がそこそこ多いのもいい。
運動神経もいいと自負している。
このように色々出てくる。
それに対し、欠点は掃除ができないことと、眉毛を定期的に整えられないこと、貞操観念が少しダメなこと、勉強に打ち込み切れないこと、と考えているが、このくらいの欠点がある方が可愛げがあるだろうと考える始末である。
とにかく、「自分のことが好き」なやつなんだろうということはわかってもらえるのではないか。
では、自らのことをこのように表明し始めてなにがしたいのかというと、「人はどのように思考し、行動するのか」というテーマについてどのような考えを私が持っているか、そしてその
考えから思うこと、を綴っていきたいのである。
何の役に立つかは分からないがとにかく一回書いてみたかったのだ。
さて、私は、人間には各々の人生で形成された「自己」というコアのがあって、全ての行動はこのコアを通した反応として表れると考えている。
当然じゃないか、と思う人もいるかもしれないが、人々はこのことを意識して生活していないと私は感じながら生きている。
例えば、人が街を歩くときの目線も、街にどのような建物が立っているのか、人がどのくらいいるのかといったような情報を無意識でコアに通し、その反応として、下を向く、前を真っ直ぐ見る、または目線を周りに配るといった行動が現れてくると考えている。
あなたは、人が歩くときの目線がどこに置かれているか、そしてなぜそのような目線の動きになるのかを考えたことがあるだろうか?
私は、人が街を歩くときの目線は、その人が自分に自信があるか、もう少し浅いレベルにいうと自分のことを好きかということを図る指針になると思っている。
下を向く人はあまり自信がない。目線を前にやっている人は自信が無いわけではなく中間的なポジションとなる。そして、目線を周りに配っている人は自らに自信がある人であると考えることが出来るのではないか。
なぜ目線だけでそんな判断をしうるのかというと、基本的に人間は周りの人間の反応を見て生活しているという前提を設定しているためである。
周りの人の目を気にする場合、前記のような反応が出るのは自然なことではないだろうか。
このように、街を歩く際にどこに目線を置くかという無意識の行為においてもその人各々の反応が見えるものである。
無意識下で見られる反応にもコアが反映される以上、意識的になされる行動にもコアが反映されるといえる。
つまり人はコア意識的に通すことが思考であり、無意識・意識的にもコアを通った反応として行動が表れるのである。
これが私が考える「人の思考・行動」である。
そして、様々な行為について、ある一定の外からの刺激に対してどのような反応を示すかでその人がどのようなコアを有しているか、データを積み重ねることでその人の傾向を判断できる。
では、何のためにコアがどのようなものかを判断する必要があるのか。
それは、あなたが生きやすくなるためである。
人間であり、社会生活を営んでいく以上、私達は人と関わりあうことを止めることは非常に難しい。
ならば、そのあなたが関係する人のコア、つまり傾向を判断することで相手の行動をある程度予測し、それに合わせて自分が快適になるように振る舞えば人生はもう少し楽になるのではないか。
私は、自分が好きだから自分に甘くしてあげたい。
だから、自分が出来る限り快適になるように振る舞うために相手の傾向の把握が必要なのだ。
そして、別に自分が好きでなくてもそのような自己が形成されてしまった以上、あなたも自分の人生が快適になるように振る舞うべきである。
ちまたでは嫌われる勇気うんぬんなどといった書籍などがあるが、別に嫌われる必要はない。
自分が快適に過ごせるように動けばいいと捉えるのである。
では、相手が不愉快に思っても自分勝手に動いていいのか?
そんなわけはない。なぜなら、相手が快適に振る舞えないからだ。
自分が快適に振る舞おうとする以上、相手が快適に振る舞うように出来るようにするのがフェアであろう。
そして、お互いが快適に振る舞えるようになるために、もっと互いの傾向を見ていくこと、伝えていくことがいいのではないのかと思うのである。
この考えの下、私は、私が自分を好きであることを人に伝える。その端的な方法がナルシストである、と伝えることなのである。
これで、相手に私の傾向を知らせることができ、お互いに快適に振る舞えるような関係性を作っていくことが容易になるのではないかと考えるのである。
やはり、テーマを考えずに書いていくと辻褄が合わない文章になってしまうと実感した次第である。後から読んだら非常に恥ずかしい思いをするに違いない!
しかし、これからも自分が考えたことを文章にする練習をしていきたいと思う。
誰かの目に止まったら面白いなぁ。
私は人にどういう人ですかと聞かれたらナルシストであると答えるのが簡単かと思っている。
これは自分の感覚とは正確に合致するわけではないけれど、こう伝えると「あぁ、自分のことが好きなんだ」とすぐわかってもらえるのではないかと期待して、実際に使う。
正確には「自分のことが好き」な人だと思う。
ナルシストと何が違うのかと思うかもしれないが、ナルシストは「自分のことが好き」というニュアンスの他にネガティブな印象が含まれる点で異なる。
ここで、ネガティブな印象を含むナルシストという言葉が正確に合致しないと言っている時点で「自分のことが好き」という性質がかいま見えるであろう。
自分の思考・行動の原理は「自分のことが好き」という点に帰ってくる。
では、自分のどこが好きか。
容姿を気に入っている。
こんな「自分のことが好き」と考えつく思考についても好きだ。
情報処理能力にも満足している。
趣味がそこそこ多いのもいい。
運動神経もいいと自負している。
このように色々出てくる。
それに対し、欠点は掃除ができないことと、眉毛を定期的に整えられないこと、貞操観念が少しダメなこと、勉強に打ち込み切れないこと、と考えているが、このくらいの欠点がある方が可愛げがあるだろうと考える始末である。
とにかく、「自分のことが好き」なやつなんだろうということはわかってもらえるのではないか。
では、自らのことをこのように表明し始めてなにがしたいのかというと、「人はどのように思考し、行動するのか」というテーマについてどのような考えを私が持っているか、そしてその
考えから思うこと、を綴っていきたいのである。
何の役に立つかは分からないがとにかく一回書いてみたかったのだ。
さて、私は、人間には各々の人生で形成された「自己」というコアのがあって、全ての行動はこのコアを通した反応として表れると考えている。
当然じゃないか、と思う人もいるかもしれないが、人々はこのことを意識して生活していないと私は感じながら生きている。
例えば、人が街を歩くときの目線も、街にどのような建物が立っているのか、人がどのくらいいるのかといったような情報を無意識でコアに通し、その反応として、下を向く、前を真っ直ぐ見る、または目線を周りに配るといった行動が現れてくると考えている。
あなたは、人が歩くときの目線がどこに置かれているか、そしてなぜそのような目線の動きになるのかを考えたことがあるだろうか?
私は、人が街を歩くときの目線は、その人が自分に自信があるか、もう少し浅いレベルにいうと自分のことを好きかということを図る指針になると思っている。
下を向く人はあまり自信がない。目線を前にやっている人は自信が無いわけではなく中間的なポジションとなる。そして、目線を周りに配っている人は自らに自信がある人であると考えることが出来るのではないか。
なぜ目線だけでそんな判断をしうるのかというと、基本的に人間は周りの人間の反応を見て生活しているという前提を設定しているためである。
周りの人の目を気にする場合、前記のような反応が出るのは自然なことではないだろうか。
このように、街を歩く際にどこに目線を置くかという無意識の行為においてもその人各々の反応が見えるものである。
無意識下で見られる反応にもコアが反映される以上、意識的になされる行動にもコアが反映されるといえる。
つまり人はコア意識的に通すことが思考であり、無意識・意識的にもコアを通った反応として行動が表れるのである。
これが私が考える「人の思考・行動」である。
そして、様々な行為について、ある一定の外からの刺激に対してどのような反応を示すかでその人がどのようなコアを有しているか、データを積み重ねることでその人の傾向を判断できる。
では、何のためにコアがどのようなものかを判断する必要があるのか。
それは、あなたが生きやすくなるためである。
人間であり、社会生活を営んでいく以上、私達は人と関わりあうことを止めることは非常に難しい。
ならば、そのあなたが関係する人のコア、つまり傾向を判断することで相手の行動をある程度予測し、それに合わせて自分が快適になるように振る舞えば人生はもう少し楽になるのではないか。
私は、自分が好きだから自分に甘くしてあげたい。
だから、自分が出来る限り快適になるように振る舞うために相手の傾向の把握が必要なのだ。
そして、別に自分が好きでなくてもそのような自己が形成されてしまった以上、あなたも自分の人生が快適になるように振る舞うべきである。
ちまたでは嫌われる勇気うんぬんなどといった書籍などがあるが、別に嫌われる必要はない。
自分が快適に過ごせるように動けばいいと捉えるのである。
では、相手が不愉快に思っても自分勝手に動いていいのか?
そんなわけはない。なぜなら、相手が快適に振る舞えないからだ。
自分が快適に振る舞おうとする以上、相手が快適に振る舞うように出来るようにするのがフェアであろう。
そして、お互いが快適に振る舞えるようになるために、もっと互いの傾向を見ていくこと、伝えていくことがいいのではないのかと思うのである。
この考えの下、私は、私が自分を好きであることを人に伝える。その端的な方法がナルシストである、と伝えることなのである。
これで、相手に私の傾向を知らせることができ、お互いに快適に振る舞えるような関係性を作っていくことが容易になるのではないかと考えるのである。
やはり、テーマを考えずに書いていくと辻褄が合わない文章になってしまうと実感した次第である。後から読んだら非常に恥ずかしい思いをするに違いない!
しかし、これからも自分が考えたことを文章にする練習をしていきたいと思う。
誰かの目に止まったら面白いなぁ。