訪問日:2021年4月16日

所在地:千葉県市原市

訪問人数:単騎

 

参考文献:『日本城郭大系』

参考サイト:余湖くんのホームページ

 

歴史

吉沢城は平蔵城の支城。伝承では、承平年間(931〜938年)に土橋平蔵によって築かれた城ですが、巨大岩盤堀切で尾根を断ち切る構造から見て、戦国期の里見氏、正木氏関連の城郭と判断していいかと思います。

 

当日のルートです。

鳳来寺観音堂を見学した後に、1の場所から侵入して南方へ進み、2の位置から下山しました。

 

先ずは鳳来寺観音堂を見学。この観音堂は国指定重要文化財。

 

現地案内板。昭和41年にすぐ近くにある善福寺旧地より現在地に移築されたようだ。

 

こちらが縄張図。川の合流地点の南側にある台地上にあります。構造は細尾根を堀切で断ち切るシンプルなものです。

出典:余湖くんのホームページ

 

善福寺南側の尾根道。下山した後に気づきましたが、一番北側の堀切(縄張図の堀4)を見忘れました。

 

南方に進むと縄張図の堀3に到達。深さはよく覚えていませんが、そこそこ深かった気がします。

 

更に南方へと進みます。ところでこの城は細尾根が永遠と続くため、主郭の位置がイマイチ分かりませんでした。居住空間を確保できるだけの郭もありません。そして土塁もない。防御面ではそれ程力を入れているようには見えませんでした。

 

更に進むと箱堀(縄張図の堀2)に到着。それなりの広さなので、ここが居住区だったりして。。。なんて思ったのですが、堀底に居住区というのはしっくりきません。

 

 

箱堀を超えて更に進むとお目当ての大堀切に到着。すんごい高さ!ここを注意深く降ります。

 

体感値だと千本城や峰上城の大堀切よりも深くてデカいと感じました。実際に深さを測定した訳ではないのでホントのところは分かりませんが、それらの城の大堀切にも全く引けを取らない大きさです。

 

大堀切の壁面。粘土質の岩盤を削っています。これはとてもよじ登ることができない。

 

スケール感を出すために自撮り。堀切の全体像と比較するとこんなに小さくなります。大堀切のインパクトが強すぎて、堀底に30分滞在して観察しました。

 

大堀切を見た後に堀底から下山しました。下山と言っても少し降りるだけで平地に出ます。

降りた場所にトンネルがありました。ここに通路を設ける際に、堀切を更に掘り下げて切通状にせずにトンネルにしてくれたのは嬉しい限りです。

 

上総、安房の岩盤掘削型の巨大堀切といえば、千本城、秋元城、峰上城あたりが定番だと思いますが、ここ吉沢城でも巨大な堀切がみれるのでオススメしたい城です。

それにしても、なぜ大堀切にだけ、これだけの大普請を施したのか全くわかりません。改修を途中で止めたのでしょうかね。

 

以上、吉沢城でした