訪問日:2020年12月29日

所在地:広島県広島市安佐北区上深川町

訪問人数:単騎

 

参考文献:『広島の中世城館を歩く』

 

歴史は不詳。城址の眼下に吉川興経の居館跡がありますが、吉川興経が築いた城か、または毛利軍が吉川興経の居館を監視するために築いた城か、どちらかだと思うのですが真相は謎です。

 

 

七曲城への行き方ですが、当日は高陽自動車学校裏手にある谷戸から登りました。谷戸を北に向かって進むと石組みされた畑のような地形が見えてくるので、そこで右折し幅が狭い(幅1m程度)沢を渡ります。沢を渡った後は東側(ピンの位置)まで直登。1〜2分も登れば堀切が見えてきます。

 

こちらが縄張図。

三篠川に沿って伸びる半島状の尾根にあり、尾根元を大堀切、尾根を四重堀切、斜面を畝状竪堀で防御しています。尾根元には大手となる七曲があるようなのですが見落としました涙

出典:『広島の中世城館を歩く』

 

谷戸から登ると一番初めに出くわす北側の四重堀切一重目と土橋。

この土橋は果たして城郭遺構でしょうか?というのは、城址が畑や公園として使用される際に利用者が移動しやすいよう、堀切に新たに土橋を架ける時があります。ただ、この城で確認できた土橋はここだけで、他には見当たりません。移動のしやすさを追求するのであれば連続堀切全てに土橋を架けると思うのですが、ここだけ架けてあるので城郭遺構の可能性もあります。でもなんだか不自然。結局、城郭遺構なのか否かは分かりません。

堀切は薄らと残っている程度です。

 

四重堀切二重目。こちらも薄らと残っています。奥に見えるのは主郭の切岸。

 

そして三重目と四重目の堀切。深さ2m程度ですが、物凄い威圧感がある堀切です。

 

三重目と四重目の堀切を横から。畝が結構デカい。

 

四重堀切の先には主郭の切岸があります。こちらも威圧感が凄いです。高さは約15mあります。

 

主郭切岸を見た後に主郭東側に回り込み畝状竪堀を探します。

 

これが主郭東側の畝状竪堀ですが、形がどこか不自然です。本当に竪堀なのでしょうか。

 

そして次は主郭西側の畝状竪堀です。横から撮影しましたが形がよく分かりませんね。

 

畝状竪堀を下から撮影。波打っているのが分かります。

 

西側の切岸を登って主郭に侵入します。郭が屈折していました。

 

主郭から四重堀切を見下ろす。

 

主郭と二郭の間に大堀切があります。これがなかなかデカイ。主郭側は10m、 二郭側は6m程あります。

 

二郭に侵入し主郭を望む。やはり主郭の切岸はすごい高さです。

 

二郭から見た大手の郭、この下に七曲が薄らと残っているそうなのですが見逃しました。

 

二郭を見て下山しました。

 

歴史不詳の城ですが、威圧感のある連続堀切、斜面を畝状竪堀で防御、これらは毛利氏の城でよく見かけるものなので、この城は毛利氏の城のような気がしました。

というわけで吉川興経の動向を監視するための城だったのかもしれません。

 

歴史が不詳なことを差し引いても、遺構は抜群なのでオススメしたい城址です。

 

以上、七曲城でした