【神聖編】世界環境デーに考える神聖なる地球 | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ

 

 

 

 

本日は世界環境デーだという。

 

考えてみれば、自分が21歳の時に政治を志したのはこの地球環境問題だった。

 

あの頃は、もう地球はダメだろうと考えていたのだが、あれから32年を経て、なんとか地球は沸騰化しながらも成り立っている。

25歳の時に事務局をやった衆議院総選挙の候補者も私より二つ年上で、立候補の動機は地球環境問題だった。

 

29歳の時は「経済と環境の調和」を掲げる候補者を支援し、彼は有機栽培の食品や静脈産業としてのリサイクルショップの経営者だった。

 

あれから時を経たが、いまだに社会が変わらない点、そして変わりつつある点は、この「経済と環境の調和」という問題だ。

 

経済と環境は相いれないという考え方がかつては存在したが、今はそうでもない。一方で、環境市民運動を行う人々の中には、大企業をはじめ営利組織を敵のようにして見立てて罵倒している運動家もいる。

 

私はこれでは進まないと思う。環境問題を訴えている活動では、電力も必要であるし、貨幣も必要である。逆に経済活動は自然環境の上に成り立っているわけで、相互が連携しているのである。

 

それを一方的に企業はよくないとして、悪口雑言をたれる環境運動のやり方には疑問を持つ。ネガティブキャンペーンだけを張っていたところで問題は解決しない。

 

あの頃と違うのは今や企業が地球環境問題に配慮するようになり、それ自体がビジネスにもなっていて積極的になったのはよいことだ。ただ、二酸化炭素排出をできない部分についてお金で払うという仕組みについてはおかしいだろう。環境税というのも疑問だ。我々は、地球環境があって経済システムを構築しているのに、環境を貨幣の力によってやりとりするという方法は矛盾している。

 

だから私が長年にわたってたどりついた結論は、環境問題をどうのこうのするのではなくて、経済システムに問題があるのではないかということだ。この経済システムは自ずと地球環境を破壊して経済成長をせねばいけない流れになってしまうところに、人類滅亡のきっかけを作ってしまっている。

 

自然万物はつねに減少していく。エントロピーは常に増大して、資源は減っていくのが自然の法則である。

 

それであるのに、貨幣の力というのは、近年はマイナス金利であるが、それは異常なことであるとされており、プラス利子こそが常識だというわけだ。それをそのまま行えば、地球資源は枯渇して人類は生きていけなくなるに決まっている。

 

ここをただすべきなのであって、グレタ的に企業の悪を叫んだり、環境破壊をして貨幣を得ようということをしていても問題は解決しない。神聖なる地球を維持するためには、貨幣のシステムを自然の法則と同じように、時とともに減価するシステムに変えることなのである。