以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。

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伊勢天照御祖[いせあまてらすみおや]神社――天照大神の「御祖」を祀る理由

伊勢の「天照御祖」
 

p.94〜95
 『高良玉垂宮神秘書』は、当社について、大菩薩(高良大社の祭神高良玉垂[こうらたまたれ]命が天照大神を勧請したと書くが、これは後世の付会であろう。『延喜式』神名帳に載る皇祖神は伊勢内宮だけで、他はすべて地方神と考えられるからである。
 問題は、なぜ当社が「伊勢天照御祖」と名づけられたかである。「アマテル」を称する他の式内社の例からすれば、当社も所在地名をとって「高良坐天照神社」などと呼ばれてしかるべきであろう。当社は、「天照」の上に「伊勢」(「伊勢坐」ではない)、下に「御祖」がつく点で特異である。
 『神秘書』は、神仏習合の高良山で勢力をもつにいたった高隆寺の座主(丹波氏と称し、その一族が高良大社の大宮司になっていた)に対し、高良大社の大祝[おおはうり]の物部氏(水沼[みぬま]君)が自家の血脈の神秘性を主張した書だが、同書は、高良大菩薩(高良玉垂命)を月神とし、大祝の祖を日神として、この日神が神功皇后の姪の豊姫と夫婦になって大祝日往子[ひゆきこ]を生んだと書く。また、大祝は高良玉垂命の乳母の子孫だとも述べている。
 高良山の本来の祭祀氏族は水沼君(大祝)である。本来の祭祀氏族の祖が日神だということは、他のアマテル系式内社の例からみて、高良山の本来の祭神は日神だったことを推測させる。『神秘書』も、高良玉垂命を月神と書く一方、この神の高良山鎮座について、ウツロ船[ママ]漂流譚を想わせる伝承を載せている。すなわち、高良大菩薩は大唐のアレナレ河から船出して大善寺の玉垂神社の地に着き、同社の前を流れる川を、出航地にちなんでアレナレ河と名づけたという。「アレナレ」は天之日矛伝承のアグ沼と同じく、日の御子誕生の聖地を意味している(高良大社の項参照)。
 たぶん、伊勢天照御祖神社の祭祀の対象は「伊勢の井」で、その原点には『神秘書』の「アレナレ」河がある。高良玉垂命の本来の性格は日の御子で、「天照御祖」とは、その祖神[おやがみ](母神)の意であろう。「伊勢」を冠したのは、この祖神が天照大神(天照日孁[ひるめ])や斎王と同じ性格のヒルメであることを、強調するためではなかろうか。大祝を高良玉垂命の乳母の子孫とする『神秘書』の伝承も、そのことを示唆しているように思われる。
 以上、高良山の本来の神は日神、高良大社の祭神高良玉垂命はその御子神、伊勢天照御祖神社の祭神はその母神であると推定した。