今日は私にしては珍しくショルティを
ワーグナー 「ヴァルキューレ」第1幕
ジークムント…フランツ・フェルカー
ジークリンデ…マリアンネ・シェヒ
フンディンク…フリードリヒ・ダルヘルク
ショルティ&バイエルン国立歌劇場管
1947年5月7日のライブ。
私の知る限り、ピアニストではなく指揮者としてのショルティの録音では、最古の部類では?
ショルティは、ハンガリーで指揮者としてデビューするも、間もなくスイスに亡命。
亡命中にジュネーヴのコンクールでピアノ部門で優勝しましたが、指揮者としてはほとんど無名だし、キャリアもほとんど無きに等しかった人。
一方、バイエルン国立歌劇場は、1944年夏の劇場閉鎖でクレメンス・クラウスが音楽総監督を退き、戦争が終わった1945年には元総監督のクナッパーツブッシュが音楽総監督として復帰しますが、何の手違いか、ナチ協力容疑で演奏活動禁止処分を喰らいます。
その後を受けて、音楽総監督に着任したのが、ユダヤ系のショルティ。
クライバーやトスカニーニの後押しもあったらしいし、大戦中にドイツで活躍したドイツ人指揮者は大半が追放を喰らっていたので、人材が払底していたのは事実。
しかし、何より占領する連合軍の意向が強く働いたのは明らか。
ドイツの中でも最も保守的で、しかもナチを生んだバイエルンの歌劇場の総監督に、ユダヤ系を据えるあたり、当てつけのように見えるのは私だけでしょうか?(笑)
事実、ショルティは1952年まで在任しましたが、お世辞にもミュンヘンの聴衆の評価は高くなかったそう。
そんな彼が取り上げたのが、これまたナチお気に入りのワーグナーというのだから、(本人にその意識がなかったにせよ)挑戦的。
ジークムントのフェルカー
大戦中はベルリン国立歌劇場で活躍し、戦後はミュンヘンに移籍してきました。
ただ、盛りを過ぎていたのは明らかで、この録音でも高音になると、鼻に抜けるような声でどうにか歌ってます。
ジークリンデのシェヒ
ドラマティックな役柄を得意とし、以後20年近くに渡り、ミュンヘンで活躍し続けます。
元帥夫人なんかが当たり役でしたね。
フンディンクのダルヘルク
この人は変わっていて、戦争中ドイツから逃れた音楽家は山ほどいましたが、この人は逆に母国イギリスからドイツに移り活躍し、大戦中のバイロイトにも出演してるくらい。
ショルティの音楽は、やはり前任者たちとは違いますね。
正確に音楽を刻んでいき、ゆとりが無い分、正直歌手は歌いづらいと思います。
ただ、録音のせいもあるのでしょうが、後年のデッカへの商業録音のようなバカでかい轟音を出すことはありません。
なお、余談になりますが、ショルティはウィーン・フィルと数々のオペラを録音してますが、では母体であるウィーン国立歌劇場でもさぞや沢山振ってるのかと思いきや、1945年から1995年の50年間に…
「アイーダ」…1回
「カルメン」…1回
「トリスタン」…1回
「ファルスタッフ」…5回
たったこれだけ!
しかも、「ファルスタッフ」以外はこのバイエルン国立歌劇場時代の1949年に客演したもので、その「ファルスタッフ」に至っては1980年にまとめて振ってるだけ。
もちろんショルティは他に常任のポストがあったから、頻繁に客演できないのは理解できますが、それにしたって半世紀でたったの8回とは、あまりに少ない!
やはり、個人的にはショルティとウィーン・フィル(及びウィーン国立歌劇場)は、あくまでもデッカのビジネスでのお付き合いだったのかな?と思います。
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