昨年10月末に出版された、クレア・キーガンの小説『ほんのささやかなこと』は、小説の素晴らしさもさることながら、痒いところに手が届く注釈付きの日本語訳も素晴らしかった。
ついでに言うと、ブリューゲルの「雪中の狩人」っぽい表紙イラストもすごく好き。
そんなこんなで昨年末は翻訳小説を読む醍醐味というかありがたみに改めて感じ入った次第だが、『ほんのささやかなこと』よりもさらに短く、かつ同じくらい評価の高い中編小説 Foster のほうもすごく気になる。そのうち日本語訳が出る、とわかっていれば喜んで待たせてもらうが、『ほんのささやかなこと』よりさらに短い小説となると、日本で1冊の本として出版される可能性は残念ながらすごく低そうだ。
ということで、腹を括って原著をDL購入したのだが。
本文を読んでみる前にネタバレしない程度にAmazonのあらすじ紹介を読んでみたら、主人公の女の子が農場に住む夫婦のもとに養い子(foster)として預けられ、大切に育てられはするものの、「秘密がないとされている家で、彼女は牧歌的な日々がいかに脆いものであるかを知る(But in a house where there are meant to be no secrets, she discovers how fragile her idyll is.)と書かれている。書評をチラ見したら"heartbreak"とかいう単語も目に飛び込んできたし、何だかすごく不穏な感じ——秘密がないとされている家には何かとてつもなくよこしまな秘密が隠されていて、ラストには鬼畜な結末が用意されているにちがいない。
……そう思い込んでいざ小説を読み始めると、日本語ではなく英語で無理矢理読んでいるせいで、一文一文、いくらでも明後日の方向に深読み(?)できてしまう。親切そうな行為の裏には何か邪悪な企みがあるにちがいない、秘密がないと言われればそれは後でエグい秘密が明らかになることの前フリだ、さては人身売買か近親相姦か、さあ何でも来い、と、何だかもうすべてを疑う邪心の塊と化して読み進め、ついにたどり着いたラスト1行で猛烈に面食らう。
えっと、これはどういう意味かな?
どうやらそもそもの始まりから私の邪推の方向が間違っていたらしいと気づくまで、たっぷり5分はかかった。で、慌ててもう一度最初から読み直し、新年早々よこしまなのは私の心のほうだったと思い知らされる。ああ、こんなことなら日本語訳が出る可能性に賭けて、おとなしく待っていればよかった。