καὶ εἶπεν αὐτῷ Ναθαναήλ Ἐκ Ναζαρὲτ δύναταί τι ἀγαθὸν εἶναι; λέγει αὐτῷ ὁ Φίλιππος Ἔρχου καὶ ἴδε.
ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」
ピリポは言った。「来て、そして見なさい。」 (新改訳)
καὶ 「カイ」 そして
εἶπεν 「エイペン」 言った
αὐτῷ 「アウトーイ」 彼(ピリポ)に
Ναθαναήλ 「ナタナエール」 ナタナエル
Ἐκ 「エク」 ~出身の(もの)
Ναζαρὲτ 「ナザレト」 ナザレ
δύναταί 「デュナタイ」 ~できる、~が可能である
τι 「ティ」 何か
ἀγαθὸν 「アガトン」 良い
εἶναι「エイナイ」 ~であること
; 「?」
λέγει 「レゲイ」 (彼 ‐ピリポ‐ は)言う
αὐτῷ 「アウトーイ」 彼(ナタナエル)に
ὁ 「ホ」 冠詞
Φίλιππος 「フィリッポス」 ピリピ
Ἔρχου 「エルクー」 来なさい
καὶ 「カイ」 そして
ἴδε. 「イデ」 見なさい
解説
マークは辞書の見出し語
中・受動三人称単数 δύναμαι「デュナマイ」 ダイナミック、ダイナマイトなどの語源。~する力があるといった意味合いがある。 能動欠如動詞なので、中・受動形で能動の意味を持たせている。
εἰμίの不定詞 先行のδύναταίが助動詞的な動詞であるため、その補語としての役割を持つ。すなわち、「良い(ἀγαθὸν)ということが(εἶναι)ありうるのか(δύναταί)?」となる。
命令形中・受動二人称単数 ερχόμαι 能動欠如動詞なので、中・受動形で能動の意味を持たせている。
命令形能動二人称単数 εἲδον ここでは文字通り見なさい、という命令形だが、他の箇所では見よ、ごらん、など注意を促す語として頻繁に用いられる。