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とても悲しい出来事がありました。私が人事を務める会社に、昨年内定していたK太郎君が、6月19日、帰らぬ人になりました。昨年10月1日の内定式直前に事故に遭い、生死を彷徨いながらも見事生還を果たし、順調に回復していると聞いていた矢先の訃報だったこともありショックでした。

奇しくも、先日ご紹介した『千の風になって』という曲を聴いて、何故かこの詩は絶対にブログに掲載したいと思ったのですが、丁度その時刻に亡くなられていたのです。


経緯をブログに掲載するかどうかで迷いましたが、告別式の今日、心からの祈りが彼の魂に届くように、彼の命の軌跡を少しでも残したく記事にすることを決めました。

鎮魂の祈りを込めた内容ですので、静かにお読みください。


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彼を迎えるはずだった入社式を目前に控えた3月初旬のある日、お母様からの嬉しい一通の手紙が届きました。


~以下、お母様からの手紙をそのまま掲載します~


路地に咲く紅白の梅が、早春の香りを運んで来るような今日このごろでございます。突然、お便りをさし上げますご無礼をお許し下さいませ。早いもので、息子K太郎の事故から五ヶ月が過ぎました。いろいろとご迷惑をおかけいたしまして、本当に申し訳ございませんでした。ようやく本人の病状も落ち着きまして、遅ればせながら、お詫びとご報告をさせていただきたくペンを執りました。


思い返せば、昨年の今頃は、就職活動本番の時期で、K太郎も毎日スーツに身を包み、出かけておりました。ご縁があり、貴社に内定が決まりました時の本人もさることながら、家族、親戚一同、嬉しく又、有難く感謝の気持ちで一杯でございました。大阪での内定式を目前にして、散髪に行った日の事故でございました。なぜか、その数日間だけ昼夜のアルバイトをしておりました。その日、夜のアルバイトを終え、バイクで帰宅途中、前を自転車で走っているアルバイト先の友人に声をかけた直後、バランスを崩したと思われ、電柱に衝突いたしました。


脳挫傷で救急率十パーセントといわれた手術でございました。六時間、十二時間、二十四時間と命の目安を告げられ、祈りながらの時間が流れました。内定式欠席のご連絡を、と思っていた矢先に、息子の携帯電話に、貴社からの電話がございまして、携帯電話をお守りのように握りしめていた主人が動揺のあまり、うまく話ができぬ状態だったようで、大変失礼いたしました。右側頭部を打った衝撃が左脳におよび、脳の腫れで、脳圧が上がるのを防ぐため、頭の骨の一部を外しました。五日目に意識が回復し、人工呼吸器も外されました。健康に育った子だという事が、唯一私を支えるものでございました。


事故から一ヶ月目に骨を戻す手術をいたしましたが、直後から高熱が続き、感染が原因という事で緊急手術で、再び骨を外しました。自分の骨はもはや使えず、次に人工骨をいれるのは、半年から一年先と伝えられました。先の事を考えず、その日一日を無事に過ごすことのみ頭におき、家族で見守る中、徐々に回復してゆくことができました。昨年末には、検査とリハビリのため、県のリハビリセンンターに転院し、二月七日、お陰様で退院いたしました。当初、不自由になるのでは、と心配しておりました体も元のようになりました。現在の後遺症としては失語症がありますが、会話で困る事はあまりなく、検査結果も徐々に良くなってきている事が本人の励みになっております。


今は、再手術までの間、自宅療養しながら、言語のリハビリに通院いたしております。元来、明るい性格なので、入院中も他の患者さんのお世話をしたり、医師、看護士の皆様にかわいがっていただきました。私共も、それを見て、救われる思いがいたしました。二言目には、勉強しなくちゃ・・・と言っており、四月の復学に強い希望を持ってリハビリを行っております。友人と会うたびに、俺は幸せだな・・・と変わらぬ友人関係に感謝している様子です。


失ったものも大きいですが、何よりも命のあったことに感謝し、与えられた運命を受け止め、今回の事で得た事を、自分の血肉にし、心を太くする糧にして欲しいと心から願っております。四年間の大学生活では、寝るために帰ってくるような息子でしたが、今、久しぶりに息子と向き合う日々の中で、改めて知る息子の明るさや優しさ、人懐こさが仕事に活かせる生き方を、共に考えてゆきたいと思っております。昨年来た友人に、○○会社(彼が内定していた当社のこと)再チャレンジするよ、と話している息子の前向きな姿に、ただただ、くじけず、頑張れ、と無言の声をかけました。


桜の季節ももうすぐでございます。昨年四月に、大阪まで面接に伺い、その後大阪城を見学してお好焼きを食べてきたと笑顔で話してくれた事を、昨日のように思い出します。内定までの間、何度も息子に接して下さいました社員の皆様に感謝申し上げますと共に、このような結果になり、ご迷惑をおかけいたしました事を、心よりお詫び申し上げます。末筆ではございますが、今後の貴社の益々のご発展を、心よりお祈りいたしまして、乱筆乱文にて御免下さいませ。


平成十七年三月七日

父 ○○ ○○○

母     ○○ 



しっかりとした考え方をされた素晴らしいお母様からの手紙を読み

心温まる想いをしていたのですが・・・

突然の訃報が、一昨日の22日、FAXで届きました。


~送られてきた、お母様からの手紙を掲載します~


○○株式会社 BON様


突然、このような形でお知らせするご無礼をお許し下さいませ。

BON様には、四月一日、わざわざお電話であたたかいお言葉をかけていただき、

本当に感謝いたしております。

去る六月十九日、元気にリハビリをしておりました息子K太郎が、外出先の駅のトイレで倒れ

発見が遅れたために、残念ながら旅立ちました。


元気でおりましただけに、無念でなりません。明日の通夜を前に、ふと、ご心配いただいた

BON様にご報告しなければと思い、ペンを執りました。

これまでのご縁に心から感謝申し上げます。

有難うございました。

六月二十二日

K太郎の母より



お母様から届いたFAXを読んで、すぐにお電話しましたが、気丈に話されるお母様の声が途中から涙声に変わられたときには、何と声をかけてよいものか、言葉に詰まりました。

最愛の息子さんを亡くされた母親の気持ちは察するに余りあり、突然の死に対するやるせなさと深い悲しみの感情が私の心に迫ってきました。

お母様の悲しみの波動を感じて、涙が溢れてしまいました。


そして今日、K太郎君の告別式がありました。

遠方のため、参列してお別れすることも叶いませんでした。

思うところはたくさんありますが、今は、この世での使命を全力で生き抜き

故郷に帰還した彼の魂を偲んで、心から冥福を祈りたいと思います。

ご縁があって、このブログに訪問してくださった皆様・・・

どうか、彼のために一緒に祈りを捧げていただければ幸いです。


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最期に、K太郎君へ


君と出会えたこと、いつまでも忘れません。

内定者懇親会で集まったときの君のキャラクターは印象的でした。

小学校時代から大学まで野球一筋に頑張ってきた君は、とても負けず嫌いでしたが、

場を和ませる天性の明るさを兼ね備えた陽気で優しい青年でしたね。

そんな君を亡くされたご両親の悲しみは、想像を絶するものがあります。

どうか『千の風になって』、愛するお父様・お母様を見守ってあげてください。

君の魂を身近に感じながら、黙祷を捧げます。


~合掌~