■所在地 大阪府高槻市市原、三好山 ■遺構 石垣・堀・郭 ■城のタイプ 山城 ■築城者 細川晴元・三好長慶

 

芥川山城(あくたがわさんじょう)は、天文2年(1533)には、細川晴元が入城し、京に移った後、芥川氏が入り、幾度かの城主の入れ替わりののち、天文16年(1547)三好長慶の城となり家臣、芥川孫十郎が城主となります。天文22年(1553)三好長慶は入京を果たしました。しかし、孫十郎が謀反したため、城を攻めて、長慶は、ここを7年間、居城として領地支配にも力を注ぎました。永禄3年(1560)長慶は、飯盛城(四條畷市)に移り、息子義興が城主となります。その後、永禄11年(1568)織田信長が上洛すると和田惟政が入城し、翌年惟政は高槻城も与えられ、2城の主となりました。惟政自身は高槻城へ入り、家臣の高山飛騨守が城主として芥川山城に入ります。以後、政治の拠点はしだいに高槻城へと移り廃城となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)大手道石垣、(2)竪土塁、(3)土橋、(4)城址碑、(5)出丸から見た展望、(6)主郭下の曲輪、(7)主郭遠景、(8)主郭にある三好長慶を祀る祠

 

台風の後のためか、すごく木々が倒れており、通行に難儀した箇所もありました。ほぼ畿内を手中に治めた三好長慶の居城ですが、山全体が城塞化されている感じでした。主郭近辺は伐採されて遺構がわかりやすいです。見所は、大手道にある石垣と重厚な迫力のある竪土塁かと思います。あと付近に駐車場がないのかなり下の住宅地のコインパーキングで停めて登りました。