「誕生日おめでとう──キャンディ」
今では夫となったあの人が言った。私の名前に殊更力を込めて。
いや、心を込めて……だろうか。
「ありがとう」
だから私も、その想いの丈を何倍にもして、あの人に返す。
「……テリィ」
「どうしてかな……? 名前を呼ばれただけなのに、凄くどきどきするよ」
彼は一旦、ソファから腰を浮かせ、
「その二つのエメラルドに、何か魔法をかけたのかい?」
私の瞳を見つめて囁く。吐息がかかるほど近づいて。
そんなことをされたら、私の方がどきどきしてしまう。
テリィの体重で座面が沈み、私の躰は自然と彼の胸に傾いた。
お気に入りのラヴソファは、私には大き過ぎるし、あの人にとっては狭過ぎる。
だけど、あの人は、これ以上のベストサイズはないと言う。
「君が、これ以上大きくならなければね。縦にじゃなくて横に」
「まあっ! テリィったら、それが誕生日を迎えた愛する妻に向かって言う言葉?」
私は思わず立ち上がった。
テリィは時々、いや、結構な頻度で一言余計だ。
(もう……、せっかくのムードが台無しじゃない)
「冗談じゃないか。誕生日にそんなに膨れるなよ。そのまま戻らなくなったらどうするんだい?」
夫の口から、くくくっ……といつもの笑いが零れる。それは私の両眉を吊り上げる、若しくは眉間に皺を寄せる要因第一位だ。
(どうしてこの人は……、幾つになっても、まったくもう……)
「言っておきますけどね、テリィ。大きくなるのが私の方とは限らないのよ。横、に」
私は止まらなくなっていた。
「それは有り得ないね。君と俺では、日頃の運動量が圧倒的に違う」
「あら、看護婦の仕事を甘く見ないでもらいたいわ。私が一日にどれだけ走り回っていると思ってるの? 病院の端から端までよ。貴方なんて狭い舞台の上で、歩きながら喋っているだけゃない」
これが誕生日に話すことかしら? と思いながら。
「それは聞き捨てならないな。君は観客のことを忘れている。あの広い劇場の一番遠い席まで台詞を届かせるために、どれほどの声量が必要か」
「何よ、大きな声くらい私にだって出せるわよ。
キャンディス、貴女が院内の何処にいるか一発で分かりますよ、って、いっつも言われてるんだから」
これが自慢になることだろうか? と首を傾げながら。
「おいおい、ただでかけりゃいいってもんじゃないんだ。そこに重厚さと感情を加えなければ観客には一切響かない。君の金切り声と一緒にしないでもらいたいな」
「金切り声ですって!?」
あぁ……止まらない。心の中で、私は何度も自分を諫める。
相手が彼だから駄目なのだ。
そう、喩えば(思い浮かべたくもないけれど)ニールなら、私は相手にもしないだろう。その時間こそが人生で最も無駄だからだ。
そう──喩えば、アルバートさんなら、
『酷いわアルバートさん! レディに向かって』
(……そうよ)
そもそもアルバートさんなら、レディに向かってそんな発言はしないだろう。
昔からそうなのだ。
あの頃もそうだった。
売り言葉に買い言葉で、どれだけ衝突したことか。
あれから十年を超えても、お互いにまるで成長していないところはどうだろう。
こうなると、一方が折れるのを待つなんて望み薄だ。恐らく、この後の展開は、私かテリィのどちらかがドアを開けて外へ飛び出す──だ。
(絶望的だわ……)
せっかくの誕生日なのに──。
「悪かった、キャンディ」
ところが、先に折れたのは、彼だった。
「全面的に俺が悪い。一生に一度しかない、大切な君の誕生日なのに」
(まさか……)
何ということだろう。
「君と出逢ってから、十回もの誕生日を一緒に祝えずにきた。それがどんなに口惜しかったか」
(信じられない)
どちらかが折れれば、こんなに穏やかに解決するのだ。
「でも、それは……貴方のせいじゃないわ」
「公演後の帰り道、空を見上げて、流れ星に君の幸せを祈ることしかできなかった」
「そんなの……知らなかったわ」
「今、初めて告白したからね」
「テリィ……」
「不甲斐ない男だろう?」
私はゆるゆると首を振る。
「そんな……ことない」
(狡いわ……)
また一方的に、私ばっかり……。
貴方は魔法使いなの? テリィ。
これから毎年、こんなふうに私は魔法にかけられるの?
「いいや、一生だよ。──キャンディ」
彼の唇が、言葉では喩えられない呪文を唱え、
私を雁字搦めにした。
皮膚も。
血液も。
心臓も──。
こんばんは
皆さまのTwitterやブログに影響されまして、本日、急遽思いついた話です(ぎりぎり)
不完全なところが多々あるかと思いますが、お見逃し下さいませ。