構内全貌。とにかく広い。

 
インターネットを普及させるため、NTTは回線だけはなくISPやポータルサイトも提供している。
NTT DIRECTORYには世話になったものだ。

 
モバイル端末もずらり。
カバンに入れて持ち歩く様は前世紀のスパイのようだな。

 
このへんがデジタル回線開通時の2G端末ラインナップ。
ポケベルやPHSもあるかな。

 
N203。これが儂が一番最初に手にした端末。
懐かしいなぁ。実家にまだあるはず。

 
3GのFOMA端末。W-CDMAだな。
2GとPHSとを使える「ドッチーモ」なんてのもあった。基本料金はそれぞれかかり意味あったの? とは思う。

 
子供に持たせるPHS。これも懐かしいな。

 
i-modeからインターネット接続が可能な端末になり、画面もカラーになった。
メールだけではなく写真を添付して送付する「写メール(他社の商標)」も登場した。
現在もスマホで写真を撮ることを「写メ」と呼ぶ人がいるが、本来の意味を考えると誤りである。

物理ボタンは良かったんだけど、部品点数を減らすことでコストを下げる業界の流れは止められず、今はスマートフォンが主流になってしまった。
ケータイがあふれていたころは、まさかなくなるとは思わなかった。スマホもいずれ別の形に変貌を遂げるのかもわからんね。
 
第2世代携帯電話の通信方式のひとつ、PDCは日本独自規格。 この規格内でiモードやら絵文字やら写真をメール転送できるやつ(みかかは写メールのことなんて呼んでたっけ?)などなど独自の進化を遂げていったことが、ガラパゴスと呼ばれた経緯である。だからネガティブな意味じゃなかったんだよな。

 
FOMAの基地局。この開発にはちょっとだけ関わったことがある。ええもう、ブラックもいいとこだったわ。
ある程度歳が行った技術者に「YRP」というと表情が変わるかもわからない。

 
PHSは電波の届く範囲が狭いので、中継設備があちこち必要だった。
実家にも家庭用の受信ステーションを設置したものである。

 
最後の方は駆け足になったが、それでも3時間以上滞在していた。
あんな思い出やこんな思い出が呼び起こされてくる、そんな施設だった。一般の人は端末に思い入れがあるかもわからんね。

桜まつりでメシを食おうと思ったが、えらい混雑になっていたのでやめた。
人混みはあまり好きではない。
 
バスに乗ろうとしたら長蛇の列。
少し歩いたところに吉祥寺へ直接行けるコミュニティバス路線があるとのことなので、向かおう。

 
一方通行にあるバス停。数分で来るようだ。ちょうどいい。

 
コミュニティバスは座れるくらいには空いていた。
混んでいるよりはマシだが、客が少ないと少々不安にはなる。
 
そして、吉祥寺駅に到着。
シティーハンターをはじめとする、いくつかの作品のマンホール蓋があるようだ。

 
というわけで、新宿の種馬。
 
銀行近くには北斗の拳。
他はちょい離れているし、まぁいいか。
 
シティーハンターのマンホールは信号が赤で人の波が途切れたときが撮影のチャンス。
 
GWはマンホールカード集めの旅に出たいなぁ。
 
おわり。