神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。 変えるべきものを変える勇気 | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?』

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『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の王立宇宙軍は、本人たちは否定するかもしれないけど、当時の若々しいガイナックスのメンバーのことなんだと思いました。アニメという当時は世間から白眼視されていたものに夢中になってそれを実現していく様は、王立宇宙軍が白眼視されながら「俺たちは宇宙に行く」とブチ上げていく様と重なります。

 

c.f.恐らくは、今日のもので未来をもつものは他に何もないとしても、やはり我々の笑いこそはなお未来を持つ 2022年12月05日

c.f.ですから私はこの3年が異常だったとは全く思いません。むしろ異常だったのは、それ以前の30年あまり 2023年01月01日

c.f.【異世界転生】「ここでやめたら、俺たちゃ何だ…。 俺はまだやるぞ、死んでも上がってみせる!」 2022-11-22

 

当事者たちは王立宇宙軍を観てその未熟さに目を背けるようですが、僕のような素人の第三者から観ると、当時の「俺たちはやるぞ」という熱い血潮のようなものを感じて、非常に感化されました。俺も自分の領分でこれくらいのことをやってやるよという感じです。

 

 

なぜ王立宇宙軍は当時のガイナックスのメンバー自身ではないかと思ったのかというと、それは過去に書くことについて師匠とやり取りした記憶があったからです。僕が質問というほどではないですが、「結局書くことができるのって、自分のことか自分の経験したことだけですよね・・・」とこぼすと、「そうだね」と答えてもらった記憶があります。

 

書くことを「表現」とより抽象的な概念に置き換えれば、より多くの営みに当てはめることができると思います。自分のことや自分が真に感じたこと、経験したことしか、少なくとも人の琴線に触れるような表現にはなり得ないのです。

 

そういった意味で思い出すのが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』です。言わずと知れた、ロシア文学の大傑作ですね。哲学者のウィットゲンシュタインはこれを50回くらい通しで読んだそうです。

c.f.神と悪魔が戦っている。その戦場は人間の心なのだ!〜鎧の人と中の人、本音と建前と「身銭を切る」 2020年07月05日

c.f.そこでは悪魔と神がたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ。〜脱洗脳とゴール設定の風景 2021年12月03日

 

この『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたときに思ったのが、主要な登場人物は皆ドストエフスキー自身であり分身なのではないかということです。強欲で好色なカラマーゾフの父も、直情的なカラマーゾフの長男も、合理主義で無神論なカラマーゾフの次男も、敬虔で信仰深いカラマーゾフの三男も、卑怯で卑屈なスメルジャコフ(隠し子)も、皆それぞれドストエフスキー自身であり分身なのではないかと思います。

 

ちなみに僕は『カラマーゾフの兄弟』の中でスメルジャコフに一番シンパシーを覚えます。卑屈で依頼心が強くすがるものを求めているくせに、それが自分の意に沿わないと逆上するところなんかは、自分を見ているようで目を背けたくなります。

 

それはさておき、なぜ『カラマーゾフの兄弟』の主要人物がドストエフスキー自身であり分身であると思ったかというと、「まといのば」で展開されるガザニカの分離脳を踏まえた「私」の中にいくつかの自分を認めるべきという議論が頭の片隅にあったからです。

 

また本家主宰は頭と胸と腹は別々の生き物のように振る舞うし、それぞれのニーズを混同せず文字通り腑分けすることが大事だとお書きになられています。

c.f.右脳が左脳に気づかれずにふるまうことができ、左脳はその後、全人格がとった行動について作話する 2020年03月12日

(引用開始)

「まといのば」のざっくりとした定義で言えば、頭と胸と腹は別々の生き物のように振る舞います。

 

お腹はいっぱいなのに、魅惑的なスイーツを見て「目が食べたい」ってことありますよね。

 

お腹がいっぱいでも、頭がスイーツを(目で)見てしまうと実際に食べたくなります。別腹です。

 

ちなみに別腹って、本当に胃が勝手に動いて、胃の内容物を十二指腸に追い出してスペースを作るそうです。まさに別に腹を用意したかのように。

お客さんが入ってきたので、食べている途中のお客さんを追い出して、新しいお客さんへのスペースをつくるレストランみたいな感じですね、、、、って比喩がむしろわかりにくい。

 

 

尾籠(びろう)な話ですが、下半身は別人格と言ったりします。

 

逆に真面目な話で言えば、脚が弱ると心は弱ります。脚がだめになると、動けなくなります。それは物理空間も情報空間も。

脚から老いるなどと言いますが、脚は定期的に高負荷でいじめ抜いて、鍛えておきたいものです。

 

脚は腹に属します。

 

腹が駄目になると、どれほど胸がワクワクしていても、動けないのです。

 

 

ですので、アディトレでも、頭のニーズと、胸のニーズと、腹のニーズを混同しないようにと教えています。

文字通り腑分けすることが大事です。

 

そして、頭・腹・胸もまたざっくりとした分類で、頭が右脳と左脳に分かれるように、嗅覚と聴覚と味覚では対立することもあります。もっともっと細かく分類されていくのです。

 

そしてこれまたざっくりと言えば、細かく別れていった状態を「リヴァイアサン」と呼んでいます。バラバラのニーズを持つ人格が集まって、同じ目的に向かって一致団結しているのです。それが身体です。

ホッブズは主著であるリヴァイアサンの冒頭でひたすらに解剖学(生理学)について書いています。もちろん国家がひとつの肉体であるという比喩ゆえですが。

たとえば、血液が流通、脳が司法や行政という感じで。

(引用終了)

 

ヒーリングにおいては自分の中に複数の人格を認めて、それぞれのニーズを満たしてあげることが重要になってきます。どれか一つのニーズを無視したり抑圧したりすると、必ずどこかのタイミングでそれに猛烈に足を引っ張られますから、注意が必要です。

 

また「私」の中に複数の自分がいると理解できると、すでに奨励されている複数のゴールを設定するのも自分という人格は一人しかいないと思い込んでいるよりもやりやすくなります。

 

ビジネスを含む表現においても、「私」の中に複数の自分がいてそれらを注意深く見つめ掘り下げていくことは大事です。この掘り下げていく作業は結構キツイですが、能力の輪(©︎ウォーレン・バフェット)に留まりリラックスし、ゴールが設定されていれば取り組みやすくなるかもしれません。

 

そうしていると自分自身を癒すことができるし、かつ人様の琴線に触れる、感動をもたらすような表現やビジネスを展開することができるでしょう。その最高峰のひとつが『カラマーゾフの兄弟』かなと思います。

 

その一方で、僕たちは宇宙という巨大なシステムの記号に過ぎないこともわきまえておきましょう。中国SFの『三体』の著者・劉慈欣はインタビューの中で、登場人物たちを極端に言えば記号的にしたと答えています。『三体』の壮大な世界観を表現するにはそれがベストだと思うし、個人的にはまたそれも僕たちのあり方を表しているように思います。

 

 

──『三体』において宇宙に向けてメッセージを発した葉文潔(イエ・ウェンジエ)、あるいは『三体Ⅲ 死神永生』の主人公で、階梯計画を発案した程心(チェン・シン)。3部作にわたる物語世界に決定的な影響を与えたのが──『三体Ⅱ 黒暗森林』の羅輯(ルオ・ジー)はともかく──いずれも女性だったということにはどのような意図、あるいは劉さんの心理が表れているのでしょうか?

 故意ではありません。登場人物たちの性別に対する設定は、正直あまり深く考えていません。葉文潔(イエ・ウェンジエ)や程心(チェン・シン)を男性にしたとしても大した影響はないと思っています。実際、三部作に登場する男女の比率はほぼ同じはずです。確かにふたりの女性がそれぞれ世界を大きく変えてしまいますが、それは偶然なんです。

──では、3作品を通じて「最も感情移入できた登場人物」、あるいは「劉さんご自身を投影している人物」はいますか?

 いません。自分の交友関係でモデルにしたという人物もいません。わたしとしては、SF作品のなかでよく見かける象徴的な人たち、極端に言えば記号的な人たちを登場させました。読者の側に「科学者というのはこんな感じ」というモデルがあり、それをある程度は守らないと読者たちは嫌がってしまいます。中国の読者はそういう傾向がとりわけ強い。(『三体Ⅲ 死神永生』の主人公)程心(チェン・シン)にしても、モラル的にも正しい「輝かしい正義の道を歩いている人物」として描いています。

わたしには科学者の友人がたくさんいますが、現実社会の科学者とSFに出てくる科学者は、まるで違います。もし、わたしが知っているような科学者を作品に登場させたらウケないと思います。作中の人物たちは、読者が感情移入したり理解できるように特徴を出して描いていますが、現実の人たちはもっと複雑ですからね。

 

『三体』の登場人物たちのように、僕たちもまた壮大な宇宙の記号に過ぎないのかもしれません。老子の一節を思い出します。

 

天地は仁ならず、万物をもって芻狗(すうく)となす。聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい:人民の意)をもって芻狗となす。
天地に仁愛などはない。万物をわらの犬として扱う。聖人に仁愛などはない。人民をわらの犬として扱う)(『老子』第五章)

c.f.「天才達」は太陽に向かい「陰陽師」は洞窟に向かう!〜天地は仁ならず、万物をもって芻狗となす 2014年07月21日

 

ただ天地(宇宙)は仁ならずだけど、僕たちに役割を与えてくれると本家主宰はおっしゃいます。それを見切るのが大事、と。

c.f.天地は仁ならず、全てをお祭りの人形のように扱うという(老子)が、天は人に役割を与えてくれる 2021年12月25日

(引用開始)

天地は仁ならずと言いますが、適切な役割を割り振ってくれているという信頼が大切かと思います。芻狗(すうく)という役割を与えられたら、その役割を演じきって、お祭りが終わったら捨てられれば良いのです(一生を静かに終えましょう)。

その役割が何かを見切るのが大事です。

(引用終了)

 

そのときになって僕たちは有名な祈りの言葉を思い出します。

 

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。
Serenity Prayer

c.f.多くの天才は子供のころに周囲の人から才能を見落とされ、人知れずスキルを伸ばす。 2019年08月08日

 

巨大な宇宙のシステムに敬意を払い自らを虚しくして自らの能力の輪や役割を見切り、かつ複数の人格で織り成される自分というものを掘り下げていきましょう。

 

また僕たちは宇宙のシステムを変えることはできませんがそのカラクリを知ることができます。そしてそのカラクリを理解することで自分や慕ってくれる他者を変えることが出来ます。

 

その両輪を回しながら、静かに一生を終えるまで駆け抜けましょう!

 

今月のセミナーは宇宙のカラクリを学び、自分自身を掘り下げていく意欲を与えてくれるゴールについて改めてお伝えします。多くの人がゴールを失い路頭に迷っているのですが、それを解決するための糸口を共有できたらと思います。

 

題して「ゴールがないなら、ゴールがある状態を作ればいいじゃない」です。マリー・アントワネットのオマージュです。

 

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