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その年に出会った病気がちな人たちのことを思っていたとき、突然暖かいものに包まれて「愛」と伝えていただいて、今月でちょうど13年が経ちました。

そして、その一年後スピリチュアルカウンセラー正木りささんから守護霊さんからのメッセージで、スピリチュアルヒーラーであることを伝えていただき、それからスピリチュアリズムを学びながら訓練を積むと同時に、スピリチュアリズムを生活の中で実践することを心がけてきました。

もちろんヒーリング活動とともに、霊的真理を伝えるという活動も続けてきました。

でも、霊的真理というのは、誰にでも伝えられるという訳にはいかず、やっぱり魂の準備が整った人でないと心に落ちていかないいんですね。

なので、なかなか悪戦苦闘してまいりました。お陰様で私にとっては、たいへん良い学びになりました。

 

そんなふうに13年間過ごしてきて、今になってつくづく感じるのは、最初に霊界から伝えていただいた「愛」というメッセージです。

スピリチュアリズムに関わっていようがいまいが、人生の中の様々な苦難を乗り越える過程で学んでいくのは、やっぱり「愛」なのです。

「愛」という言葉は、あまりにも世の中に溢れていて、その定義や解釈なども様々なのですが、私の言うところの「愛」とは、見返りを求めず限定もしない純粋な「愛」です。

「愛」は、宇宙最強最大のエネルギーです。

「愛」は宇宙の根源です。

自分の中の「愛」を育て大きくしていくということは、宇宙最強のエネルギーをそれだけたくさん持てるということで、それだけ苦難に立ち向かう力が強くなるということでもあります。

しかし、それは容易いことではありません。自分の中の「愛」を育てるためには、それだけ多くの苦難を経験し乗り越えていく必要があるのです。何の苦難もない順風満帆な人生では「愛」を育てることなどできません。

 

超高級霊のシルバーバーチは、その交霊会の中で、霊的真理の普及に携わるミディアムやスピリチュアルヒーラーの方々の人生に苦難が多いのは、「それだけ多くの苦難を乗り越えた者でなければ、霊的真理の普及という困難な仕事は成し遂げることはできません。だから、そうした困難な人生を歩まなくてはならないのです。」というようなメッセージを伝えています。

 

人生の中での苦難は、自分の中の「愛」を育てる、願ってもないチャンスなのです。

人生の苦難を毛嫌いしないで、「愛」を育てる絶好のチャンスだと、自然に受け入れられるようになったら、かなり無敵になっていくと思いませんか?

 

無敵の力、それが「愛」です。

 

 

 

 

遠いふるさと

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昨年の5月、わたしの守護霊から、「一歩一歩よく学んできましたね。いつこちらに戻って来てくれても歓迎します。これからは学んだものを一つ一つ手放していく」というメッセージを頂いた。

 

確かにここ1年ちょっと、いろんなことにどんどん執着が無くなってきているように感じる。

 

でもまだ、この世での物的条件が整っていない。まだどうしても片づけて行かなければならないことがある。

 

もう26年も前に、突然先に帰ってしまったいちばんの親友や、赤ん坊のころ別れてしまった顔も覚えていない実母に会いに帰りたい。しかしそれはもう暫く先にしなければ。

 

そんな暮らしのなかで、青春のころが無性に懐かしくてしかたがない。

 

今年の盆休みの初めに、中学校の同窓会があった。そこでずっと会えないでいて会いたかった、むかし一緒に音楽をやっていた友達に再会できた。

それ以来ときどきLINEで昔の音楽やギターの話などをしている。

そういうことはやっぱり楽しい。

 

わたしの青春の時期は、60年代の終わりごろから70年代の前半ぐらいだろうか。

ボブディラン、ビートルズ、ローリングストーンズから始まりハードロックやサイモンとガーファンクル、カーペンターズ、その他、日本でも吉田拓朗、はっぴいえんど、加藤和彦など、他にも多くの才能あるミュージシャンが出てきた時代。

だから、懐かしく素晴らしい音楽はたくさんある。懐かしく聴ける名曲には事欠かない。

中島みゆきさんが名曲「時代」でデビューしたのが1975年のことだった。

 

最近中島みゆきさんの「ホームにて」をときどき聴く。

わたしは「ホームにて」の歌詞の中の汽車は、宮澤賢治の「銀河鉄道」の汽車のようなものではないかと勝手に思っている。だから、汽車の窓の中で笑っている帰り人というのは、ふるさとである霊界(幽界)に帰る人たちなのではと思う。

「♪かざり荷物を振り捨てて街に挨拶を 振り向けばドアは閉まる♪」まだ地上ですることがあって、汽車に乗れないでいる自分と重なる。

 

今日はカーペンターズの「I Need To Be In Love (青春の輝き)」を聴いていたら涙が出てきた。

 

♪ふるさとは走り続けたホームの果て 叩き続けた窓ガラスの果て♪

 

ふるさとは遠い。

 

 

 

 

 

 

 

それでもめげずに。

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12年前、守護霊からのメッセージで、「スピリチュアルヒーラーであること、それまでの人生は準備だった」ことを伝えて頂いてから、スピリチュアリズム、ヒーリングに関する学びと訓練を続けながら、生きていく中で実践していくことで学びを深め魂の成長に繋げつつ、ヒーリングを通してご縁を頂いた方々の魂の目覚めを促し、霊的真理の一端を伝える活動を続けて来ました。

 

そんな活動も、自分だけがいくら頑張っても結果がでるというものではありません。あくまでもご縁を頂いた方の魂の準備ができている(ときがきている)状態であることが条件です。

 

私たちのできることは、魂の準備ができている人の魂に、ほんの少しだけ刺激を与え魂の目覚めを促すことだけです。決して導いて差し上げるというような大それたことはできません。

 

しかし、ひょっとしたらそうした可能性のあると思う方にご縁を頂くと、どうしても期待してしまったりします。

本来そうした期待を抱いてはいけないのでしょうが、まだまだ未熟な私はついつい期待する気持ちが湧いてきてしまいます。

 

その結果おとずれるのが失望です。

したがって、この12年間は期待と失望の繰り返しだったように感じます。

 

そこでつくづく思いだすのが、シルバーバーチがその交霊会の中で、そのときどきのゲストのミディアムやヒーラーに向かって何度となく伝えた、「あなたたちの活動はとても困難な道です。だからこそ価値があるのです。けっして諦めないでください。一生のうちにたとえ一人でも二人でも魂の目覚めを促し伝えることができたなら、十分に役割を果たしたと言えるでしょう」(言葉は多少違うかもしれませんが、ニュアンスはそのようなこと)という言葉です。

 

霊的なことに興味を持った人が陥るいちばん多いと感じることは、少しかじっただけで解った気になって在らぬ方向に行ってしまうというパターン。そうなると霊的真理に近づくどころか、むしろ遠ざかってしまいます。

本来、霊的真理を知れば知るほど己の未熟さを知り謙虚になっていくのが自然なのですが、そういう人たちは、どんどん思い上がって大きいことを言い始めます。悲しいことです。

霊性が進化すればするほど謙虚になるものです。その証拠に私たちより遥かに霊性が進化している高級霊ほど私たちよりずっと謙虚です。

 

未熟なために期待と失望をくりかえしてしまう私ですが、帰幽するそのときまで、めげずに活動していかなければと思います。それでも早く帰幽したいと思ったりしてしまいますが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

気づきにくいこと

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なんと11ヶ月も間が空いてしまいました。

 

だれが聞いても当たり前だと思うことを、心の深いところでほんとうに理解するのは、意外に難しいことです。

簡単に解っていると言う人の殆どが、ほんとうの理解ができていないものです。

 

だから、人間はそう簡単には成長できないのでしょう。

 

だから、ほんの少しの成長も尊いものなのです。

 

だから、なかなか成長できずにもがいていることも、尊いことなどだと感じます。 

 

 

 

 

10年以上ほぼボランティアにてスピリチュアルヒーリングの活動をしながら、スピリチュアリズムの勉強を続けてきているのですが、ここにきてようやく解ったというか、深く感じることは、スピリチュアルな(霊的な)こと、霊的真理といったようなことは、「よく解らない」ということがよく解ったということです。

 

なんか訳の解らないことを言っているようですが、ようするに霊的なことは、学べば学ぶほど奥が深く広く、とうていいま地上に生きている私たちには、理解の及ぶものではないということが、実感として分かってくるというか、感じるようになってくるということなんです。

 

こんなことを書くと、一見いままでスピリチュアリズムを勉強してきたことが無駄だったように聞こえるかもしれませんが、けっしてそうではなく、ここまで勉強して体験してきたからこそ、頭ではなく、心の深いところでそう感じ理解できるようになってきたということなのでしょう。

 

「解らないということが解った」というこの実感は、わたしにとって大きな収穫なのだと感じます。

 

最近また、スピリチュアルを名乗ったいろいろな人や団体のようなものの話をよく耳にします。

本来のスピリチュアリズムは、疑って疑って自分の中で少しずつ確かめて実践していくものなのですが、それらの多くは、ほんの表面だけをかじり、それらを鵜呑みにして信じ込み、頭で解ったように思いこんでしまっているものです。それでは迷路にはまっているのと同じで、少しも出口に近づくことはできません。

それでもいつかは(来世になるかもっと先になるか判りませんが)その迷路を抜け出せるときがくるのでしょう。

正直そういった方々が、ぼくにとっていちばん面倒くさい存在です。ですので、そういう人にスピリチュアルっぽい話を向けられても、なにも解らないふりをすることにしています。

 

「解らないということが解る」を実感できるまで10年以上かかってしまいましたが、わたしはいまそれをたいへん嬉しく感じています。