(浜小清水駅の原生花園の木道を歩く)


「惜春の歌」を歌っている森田公一さんは、1940年生まれだから、84歳になられる。

つまり 森田さんからみた 「娘ら」とは 現在、60代、70代になるのである。

吉永小百合さん世代、あるいは山口百恵さん世代という事になるであろうか。

山口百恵、桜田淳子、森昌子さんらは三人娘と言われたが、もうちょっと上の三人娘と言えば、天地真理、小柳ルミ子、南沙織さんらである。


その小柳ルミ子さんは、ウチのカミさんと同じ歳である。

だから この世代については、ボクも多少モノが言えるが、現代の「娘ら」については分からないにしても この世代の「娘ら」は確かに、恥じらい、や 慎ましさ という美徳を 持ちあわせていたのである。

当時の自分たち 若い男どもは、その矜持に惹かれたと言っていい。

見えない何かに想像をたくましくして、想い焦がれたものである。


森田公一さんが言うように 時は ボクらをいつも待ってくれない、

どころか 時の終末が近づいてさえいる。

もちろん人には それぞれ青春の夢があり、青春とは 単に若い人の特権でない以上、ボクら翁媼(オキナ・オウナ)も、また青春の夢をもって何がおかしいか、と思う。


ボクの場合で言えば、高専を出て、実家の家業を継ぎ、必死になって働いてきた。

歳をとってからの夢があった。

会社をそこそこ大成させ、母を送り、子供たちを大学を出させ、一人前にした上で、カミさんと一緒に好きな事をやって遊ぶ。


ボクの遊びとは、本を読むことであった。

歴史書や思想書、哲学書などを気の向くまま縦横に読み、思索の世界に遊ぶ事であった。

この夢は 六十をすぎて叶えられた。

会社を 従業員の代表に預け、札幌に住んで ボクは 大所高所からみるだけにした。

ところが、カミさんは 川湯に残る、と言い出して、一時 札幌においた住民票を 一年ほどで弟子屈に戻してしまった。

まあ 互いに自分のしたい事をすればいい。


最初に読んだのは、ドフトエフスキーやトルストイのロシヤ文学であった。

札幌紀伊國屋から 関連する50冊ほどの文庫本を買って読み耽った。

10年ほどで いろいろ千冊も読んだろうか。


あれから18年が過ぎた。

想い描いたとおり 人生でもっとも幸せな時期であった。


今、本を読むことに 多少の苦痛が伴う。

小難しい事を考えるのが面倒になった。

目が疲れがちになり、まず 時間がとれない。

どうしてもTVや新聞、ウォーキング、ゴルフ、ドライブに 時間をとられがちである。

ひとり暮らしのせいもあるけれど 読書の時間がとれない。

小学生の頃 熱心に読んだ、今や日本文化の粋であるマンガ本に帰ろうか、とも思うが、本当に面白いかどうか 確信がもてない。


カミさんが、先日のお盆の帰省時に ボクと息子の前で、

私が 死ぬときは、冬 雪の降りしきるなかを さまよって、そのまま野垂れ死にしたい。

そうすれば苦しまずに、むしろ気持ちよく死ねるらしい、

と 笑いながら言って、ボクと息子を唖然とさせた。


何年か前、川湯の実家の近所に住んでいた 90歳くらいになる女性が、ご主人が亡くなってほどなく、雪中で 行き倒れになって亡くなったことがあった。

その際、誰かがそんな事を言ったのだろう。


よせよ、探す人の苦労も考えろよ、

と言いたかったが、考えてみれば、自分が 確実に先に死んでいるだろうから、苦労も何もないか、

と思い、ちょっと可笑しくなった。