先日 雉が森カントリー倶楽部にワンバッグゴルフに行った時である。

ゴルフを終え トイレに行って そのあとシャワー室に向かった。

途中、突然 男のシンボルが痛くなった。

毛が絡まったのか、と思ったが 痛いのを我慢してとりあえず裸になってシャワーを浴びた。


そうしたら足元に 蜂が水しぶきの中で飛び跳ねているのである。


こいつか!

と思い、足で踏んづけた。

そのままシャワーの水で流したが、相変わらず その部分は痛いのである。

一瞬 アナフィラキシーを予想して、明日 医者に行かなきゃ駄目か とも思ったが、とりあえず様子を見ようと思った。

その後、数日 痛かったが 特別大したことなく終わった。


こんなことは初めてである。

いったい 彼は いつ下着の中に入ってきたのか。

ラウンド中か、それともトイレでか。

なんでアソコを。

故意か偶然か。

それとも なんかの呪いなのか。

故意だとしたら、と 馬鹿な想像をたくましくした。


彼ではなく、彼女であろう。

生まれ変わった彼女が、前世の恨みで ボクのアソコを ピンポイントで攻撃してきたに違いない。

女を 泣かせたつもりは無いけれど、泣いた女はいるかもしれない。

しかしそれにしても自分としては 全く身に覚えがない。

いや 身に覚えが無くとも、相手方は それなりに恨みつらみがあるのかもしれない。


世の中は、知らずしらず気づかないうちに 人に恨みをかうことが多い、という事が 歳をとって分かってきた。

対象者が幸せである、ということだけで嫌悪感を持つのである。

他人の不幸は蜜の味、というおぞましい感情が、誰にでも普通にある。

最近多いらしい ネット上の罵詈雑言や中傷なども、多くはこうした感情と無縁ではあるまい。


バカな空想は、いい加減このくらいにして、蜂、と言えば、思い出した事がある。


ずいぶん昔読んだ 三島由紀夫の「潮騒」である。

日活映画では 吉永小百合と浜田光夫の共演だった。

東宝映画であれば 山口百恵と三浦友和である。

若い二人は相思相愛なのだが、小説の設定として、当然ライバルがいる。

ヒロインの初江(吉永小百合)をひそかに想う安夫、そして新治(浜田光夫)に憧れる千代子である。

初江を どうしても自分のものにしたい安夫は、夜、海女の仕事帰りの 初江を襲うのである。


今と違って 昔の日本は大らかなものである。

今なら 立派な犯罪で、男は一生ウダツがあがらなくなるが、当時は 男が責任をとって結婚さえすれば、すべては笑い話で済んでしまう。


で、当然 読者としては、ここは誰かが ヒロインを助けにくるだろう、と期待する。

筋骨すぐれた新治か、それとも頑固一徹で剛腕 集落の人たちに恐れられている 初江の父 照爺か。


が、ヒロインを救ったのは 一匹の蜂であった。

突然 蜂が襲来し、安夫をおそう。

追い払う安夫を執拗に追いまわし、それは安夫が 現場を ほうほうのていで逃げ出すまで続いた。

パチパチパチ(拍手)


基本的に 小説は予定調和の世界である。

三島由紀夫の「潮騒」は、三島の小説には珍しく 明るくて健康的であり、吉永小百合や山口百恵などをヒロインとする青春モノにピッタリであった。

つまりは ボクらの世代を象徴する青春文学のひとつであった。

だから、ここでは 舞台回しとして 蜂は いや蜂くんは、正義の味方であったわけである。


蜂くん、踏んづけちゃってごめんネ。


(手稲カントリー倶楽部。背景は 手稲の街並みと石狩湾。暑い日はこのゴルフ場に限る。下界よりは4、5度低い。)