(一昨日から赤レンガ広場に チューリップの花壇が並んだ。花々の季節である。)



アンデルセンの有名な童話がある。

たしか「人魚姫」だったと思うが、深海に住む人魚の娘が、地上の王子に恋をした。

原因は 船が難破して 海に転落した王子を、人魚の娘が助けたからだ、と記憶しているが、とにかく人魚の娘は、ねてもさめても王子のことが 忘れられない。

それは単に色恋沙汰だけではなく 地上に対する憧れもあったであろう。


しかし、地上の王子に会うためには、尾の代わりに足をつけねばならぬ。

思い余った娘は、魔法使いの老婆に、

どんな事でもしますから、私の尾を2本の足に変えてください。

と頼んだ。


すると 魔法使いの老婆は、

人間の魂は無限だが、50年ほどで生まれ変わらねばならぬ。

人魚の生命は無限ではないが、300年は生きられる。

もし お前に魔法をかけて、王子と結婚出来なければ、300年どころか お前はすぐに海の泡になってしまうんだよ。

それでもいいのかえ、

と、言った。


それでもかまいません。

と、娘は答えた。


こうして人魚姫は、地上に 素性のわからぬ美しい少女として現れ、美しい足で華麗なダンスを踊り、王子をはじめ、人々の目を見張らせた。


結局 彼女は王子と結婚出来ず、海の泡となってしまう という悲しい結末の童話なのである。

この物語は さまざまな比喩や教訓を含むが、書きたいのはそこではない。


思い出すままに書いていて、実際のストーリーはこれとは違うかもしれないが、実は こんな事を書いているのは、ちょっと 自分と似たところがあるかもしれない、と思ったからである。

ちっとも似てないじゃないか、とお叱りを受けそうだが、この物語のなかで 人魚姫が人々の目を奪う軽やかな踊りのあいだ、姫の両足は 突き刺すような痛みに苛まれているのである。

人魚姫は足の痛みに耐え 軽やかに踊っていたのだ。


このブログに何度も書いているが、自分は健康のため 今も毎日一万歩以上を歩き、冬はスキー、夏はゴルフに精出している。

が、しかし ここ半年ほど、足を使うたびに、痛み、というよりも、疲れ、ダルさが、いくら休んでも取れないのである。

ウォーキング中も二度、三度と 途中休むようになった。

そのうち 人魚姫みたいに 疲れが痛みにかわるのではないか、と ちょっと心配なのである。


昔、高齢のボクの父や母は、立ち上がったり、座ったりするときに、ドッコラショ、といつも言っていて、ボクは可笑しくて笑っていた。

今は自分が そうなった。


昨日 今シーズン初めてのゴルフに行ってきた。

パットでしゃがむたびに、ドッコラショと言いそうになってあわてた。

昨日は ワンバッグだから良かったが、誰かと一緒だったら、

芳井さんも歳ですねえ、

と 絶対笑われるだろうなあ、と思った。


ところで、今シーズン第一回目のゴルフは、というと、スコアはともかくとして 無事完走した。

どうやら、来月に77歳になる今年も なんとか出来そうである。


もちろん人魚姫みたいに、海の泡から 風の精に姿を変えていったように、自分もまた 地上の土壌になり、時を経て 木々や草花の元(精)となっていく。

その日はそう遠くはないが、それまでは一生懸命生きていきたい。