ネットニュース配信 | きつねの部屋ブログ版

ネットニュース配信

 明日韓国は議会選挙が行われる。それを伝えるNHKの国際報道番組では現在のユン大統領率いる右派与党と前政権で復活を狙う左派との選挙活動を民間のネットニュース、いわゆる「政治系ユーチューバー」の報道によって韓国国民がその政治家たちの動向を知る、という比率が各国とは大きく異なることを日本の国際報道が報じた。

 

 アメリカの近頃はそうであるが、こうした個人が流すネットニュースは、偏向報道といってもいい内容が多く、例え政治的な集会、報道発表、選挙演説などをそのまま流したとしても右寄り、左寄りの視聴者の志向をコンピューターが読み取りアルゴリズムによって同じような思想で構成された動画を次々と送ってくる。

 

 結局そのような右派、左派に偏った報道しか観なくなると自分の思想はそうなのだ、といったフィルターバブルに陥り、自縄自縛となり、こうしたことが国政選挙に大いに関わってきて勝敗を決することになる。

 

 また新たにAIを使ったフェイクニュースが登場してきていて、大物政治家ががこんなことを云うはずはない、やるはずはない、とは思いつつも視聴者は「そうあってほしい」「やはりそうなんだ」と偏りが益々正常な判断を狂わせ、偏った判断、いや自分もそう思う、と自らの信念はこうだ、と決めつける決め手となってしまう。

 

 アメリカの先のトランプ大統領選出も同じようなことがおこり、彼が勝利したといた、そういわれている。

 

 このようなことは分断を産み右か左か、黒か白かの判断しか生まない。

 

 がネットはそんなことはお構いなし。それを承知でネットニュースを作る組織もあれば素人でもお金のためにこうした偏向報道を作る個人も多くいる。数万回もあるいは数十万回、それ以上視聴してくれれば会社勤めをしなくても収入システムが現在。

 

 新聞は政治色があり、テレビ局、あるいは番組によっても色はある。とはいえネットニュースよりは抑制されている、とわたしはおもっているが、志向は個人個人にあってどうしても自分の考えとは異なる報道には反発し、そうだ、という報道には賛同してしまうもの、それが人間だ。

 

 考えてみると報道をその国が規制しまう国というのも怖いもの。ソ連、中国、あるいは独裁国家といわれている国々は自分達の政策に抗する意見があるマスコミ、論者を摘発することをいとわない。

 

 同じネット社会であっても中国と韓国とは政治体系が異なる。片や共産党一党独裁政権と此方人口が少ないとはいえ民主主義国家。統制が効くのは一つの強固な思想があり、その党首が指揮する国家である中国。ネット市民を監視していて政権に不都合な意見はすぐに削除される。

 

 反対に韓国は左右が同じような力をもつ政権交代国家。ネットでも左右どちらの支持も飛び交う。どちらがいいかは反対勢力が存在する韓国社会のほうが正常といえなくもない。

 

 ただ政権や国会議員の数で右から左に大きく振れるのも市民にとりやっかいなことだ。それが民主主義であるといわれればそうなのだが。

 

 それに比べれば”民主主義国家”の日本はまだまし、とは言えない状況が昨今だ。戦前の日本は新聞が国民を煽り、明治には国会開設を求め、次に日露戦争を起こすことを国民の総意とし、結果一応勝ったことでその権益を巡りそれがアメリカを敵とみなした太平洋戦争へと繋がっていく。

 

 その反省から共産主義が台頭、60年安保騒動、70年学園闘争に繋がり、今がある。それに凝り、政治のことは政治家に任せ自分たちの生活を主とした生き方を国民は選んだ。政治にはあまり関心がない、これは賢い選択であったのかどうかの結論はまだでていない。

 

 幸いといっていいのか日本はまだ政治的な意識が低く、国政選挙でも戦後の政権交代は与党自民党が細川政権、そして旧民主党政権になっただけで自民党政権が長くつづいている。

 

 投票率にあらわれているように、日本人は政治にあまり関心がなく期待値が低いことがむしろ政権を頻繁に変えることはしなかった。それがいいのか、悪いのかは別だが。

 

 が、これからは政権がどうかわるかよりも、経済格差がじわじわと人々の心を浸み込んでいる最中。そこに偏った思想のネットニュースが多く観られるようになれば持てる者と持たざる者との間に亀裂が生ずることもありうる。

 

 ということをあまり心配することもなく、個人への誹謗中傷はあるが政治的なネット配信の力はまだ日本にはない。といって安心してはいけない、政治への関心はいつでももっておいたほうがよろしい。