早朝の仏生山駅を降りて、四国香川へ来たなら一度は"詣で行きたい拍手"との想いで、この地へやってきました。



高松琴平電気鉄道創業時(当時は琴平電鉄)から走り続けていて御歳90歳になる古典電車です。長年の活躍から1988年には鉄道友の会から第5回エバーグリーン賞受賞し、2007年5月には産業考古学会より推薦産業遺産指定され、また2009年2月には経済産業省より近代化産業遺産に認定されています。
1000型3000型1926年、その増備型である5000型1928年にデビューしました。この日、仏生山駅の駅舎隣に停まっていたのは5000型でした。





高松琴平電鉄300
仏生山
2018年1月29日


1000型は琴平電鉄開業に際して1926年に汽車会社で製造された半鋼製電動車で100・110・120・130・140の5輌が製造されました。
3000型も琴平電鉄開業に際して1926年に日本車輌で製造された半鋼製電動車で300・315・325・335・345の5輌が製造されています。

琴平電鉄の車番については、他に類を見ない付番方法で1000型は形式より一桁少なく、10番刻みの特異な付番方法を取り、3000型も型式より一桁少なくトップナンバーの300以外は1000形の末尾0に対し末尾5の車番となっており、更に特異な付番方法となっています。新製当時の資料が残存しておらず、付番方法については現在に至るまで分かりません。

1000型の外観は窓上部にRがついている丁寧な造りでウインドシルのみ取り付けられています。
購入に際して大倉商事※1などを通し琴平電鉄が自ら手配をしています。主な手配品としては…

⚫︎制御器:米・ウエスチングハウス
⚫︎エアブレーキ:独・クノール
⚫︎モーター:独:アルゲマイネ


1輌だけは汽車会社で組み立てられ、他は自社仏生山工場で組み立てています。

 製造当初は戸袋窓は楕円形でおわん型ベンチレータ、トラス棒を使用していました。

登場以来戦中、高度成長期の琴平線で活躍しましたが車輌の大型化に伴って1961年以降、順次志度線に移動し、1965年頃より増結車となりますが引き続き5輌揃って活躍を続けました。

1994年の志度線分断以降は、300・315・325が長尾線所属、335・345は志度線所属となります。
2003年までに300・315・325についても台車の履き替えが実施され、最終的に早期に廃車となった345を除く4輌が廃車発生品※2の川崎車輛製ボールドウィン系台車(U形イコライザー)に履き替えています。

その後、600形・700形の増備により1999年10月に345が、2006年10月には325が廃車解体されてしまいます。


高松琴平電鉄300型335
志度線今橋
2005年7月28日

写真の335号車は2006年12月をもって営業運転を終了し現在は道の駅 源平の里むれ(高松市牟礼町原)に静態保存されています。315号車は2007年7月一杯まで行われた旧形車最終定期運行の後、同年8月に行われたさよなら運転を最後に運用を外れて廃車解体されてしまいました。


復元された高松琴平電鉄300
仏生山
2018年1月29日

300は2003年に両端の戸袋窓を製造当初の丸窓に復元しており、長尾線大型化・車両全面冷房化以降も動態保存されています。

2010年3月に、琴電開業時の茶色一色のオリジナルカラーに復刻されて、前述の通り、開業時から前照灯、貫通扉、客扉、屋上通風器が交換されています。台車はオリジナルの汽車会社ボールドウィン78-25A(弓形イコライザー台車)、主電動機は独:アルゲマイネ社製USL-323B(48.5kw × 4基)の組み合わせでしたが、2007年11月に廃車発生品※2の川崎車輛製ボールドウィン系台車(U形イコライザー)に履き替えています。


※1      大倉商事=大倉財閥系の商社。
※2      廃車となった高松琴平電鉄65号車が履いていた阪神電鉄881型由来の台車を現在使用している。

🔴高松琴平電鉄1000型

⚫︎製造年 1926年
●製造所  日本車輌
⚫︎寸法     14,720 × 2,640 × 4,128(mm)
⚫︎自重     25.4トン
⚫︎主電動機
       独:アルゲマイネ社製USL-323B
⚫︎出力     48.5kw × 4
⚫︎台車:ボールドウィン78-25Aタイプ
(汽車会社製の弓形イコライザー台車)

※130号車は東洋電機製TDK-596FRに換装(モハ65の廃車発生品)
⚫︎定員 96名(座席40)

🔴高松琴平電鉄3000型

⚫︎製造年 1926年
●製造所  日本車輌
⚫︎寸法 14,720 × 2,640 × 4,128(mm)
⚫︎自重  25.4トン
⚫︎主電動機   
315・325:独・アルゲマイネ社製USL-323B
出力:48.5kw × 4
300・345※:東洋電機製TDK-596FR
出力:48.5kw × 4
355 ※        :三菱電機MB-95A
⚫︎台車:住友金属製ST-19(弓形イコライザー台車)
⚫︎定員 96名(座席40)
※335・345号は1983に制御車である860・890号車と云った単独Tc車と組むために主電動機のパワーアップを行なう。台車はブリル27-MCB2A、主電動機は三菱電機製MB-98A(74.6kw)の組み合わせとなる。





1000型3000型の外観はほぼ同様ですが、相違点は窓枠が1000形にはRがついているのに対して3000型は角張っており、ウインドシル・ヘッダーが取り付けられています。






高松琴平電鉄5000型500
仏生山
2018年1月29日
5000型は加藤車両で1928年に500・510・520の3輌が製造されました。
登場時は1000型3000型と異なり半鋼製付属車(クハ)で片運転台でした。また創業時に導入された車種と異なり尾灯が正面窓上部に移動され、前面貫通扉は横引きになりました、窓の上隅は小さな曲線になっていますがウインドシル・ヘッダーは付いており、戸袋窓も通常の四角いガラス窓となっています。

1953年、国鉄から譲りうけた制御車の入線により琴平線は電動車不足に陥ります。このため、本形式は両運転台の制御電動客車に改造された。台車は営団地下鉄から譲りうけたものを使用し、尾灯は助士側窓下に1灯から、両端の窓の上に1灯ずつに変更しました。た。には電動車に改造され、同時に両運転台化されました。

主電動機の出力が高かったため、1000形・3000形が志度線に転出した後も、琴平線で主に増結用として使用されました。


5000型500号車に搭載される
東洋電機製TDK596型電動機

1976年に510号車長尾線に転属し残る2輌は琴平線長尾線の転属を繰り返しましたが、1985年琴平線へ1070号車の導入により520は廃車なりました。
その後、1990年頃に500号車長尾線の専属となり、1000型3000型といった創業時からの小型車は長尾線志度線に集められました。1998年には長尾線・志度線600形投入に伴い510号車が廃車となりました。500号車が営業用車両では最後まで旧標準色で活躍しました。いまでは1000型120号車3000型300号車5000型500号車イベント列車として残りイベント運用で活躍しています。