日野トレーラーバス

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1947年には、空冷エンジンを同じく統制ディーゼル系統ながら市場で一般的な水冷式に改めたT11B型セミトラクターヘッド(Bはバス用の意)と荷台を客室に変更したT25型トレーラーバスを組み合わせ発売を開始しました。

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⚫︎日劇前を行く仙南交通向けトレーラーバス⚫︎
日野T11B+T25
1948年1月頃撮影

背景に見える”東京ブギウギ”の看板から上記の時期に撮影したものと思われる(看板に一緒に書かれた”エノケンの鞍馬天狗”は1939年封切り。娯楽も物資もまだ十分ではなかったことが垣間見れる。

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⚫︎銀座四丁目を行く仙南交通トレーラーバス⚫︎
日野T11B+T25
1948年1月頃撮影

同じく仙南交通のトレーラーバスのため、同時期に都内各所でPR写真用に撮影されたものと思われる。銀座和光は当時アメリカ(進駐軍)に接収されて売店(TOKYO PX)として使用されている。
仙南交通は宮城県にあったバス会社で戦前に軽便鉄道、戦後には秋保電気鉄道の経営も行なっていた会社で1970年に宮城交通となった。現在の仙南交通とは別会社である。

先行試作的なトラクターT10型は、計画量産開始時に日野重工に課された賠償指定工場*による予定の遅延や鍛造品生産技術の制約(量産向け工場設備の不備、資材不足)から、長いフロントアクスルビームを要する固定軸を用いず、トレーリングアームにコイルばねを組み合わせた独立懸架方式を採用しました。バスとしては画期的な新技術導入と思えますが構造自体は既存軍用車からの流用で、技術的進歩と言うよりはやむを得ない選択であった。
また初期車は左ハンドルとしたのも、コスト制約による軍用車の部品流用の結果であるが、当時は、巨体の歩道側安全確認に好都合だったとも言われています。


⚫︎日野トレーラーバス諸元⚫︎

◎トラクター
◆型式  日野T11B
◆寸法  長5,500 × 幅2,400 × 高2,860(㎜)
◆WB              3,700㎜
◆トレッド        (前)1,800㎜/(後)1,750㎜
◆車輌総重量     4,900kg
◆エンジン型式           DA54
◆冷却方式・気筒数     水冷式直列6気筒
◆ボア・ストローク      120  ×   160(㎜)
◆排気量                        10.85 ㍑
◆最高出力                     110ps/1700rpm 
◆ 燃料タンク容量         120㍑


◎トレーラー
◆型式  日野T25
◆寸法  長10,500 × 幅2,400 × 高2,860(㎜)
◆WB              3,700㎜
◆トレッド        (トレーラー2軸間)1,250㎜
◆車輌重量          6,500kg
◆車輌総重量     11,670kg
◆定員        座40 + 立51 + 乗5  計96名**

◎トラクター + トレーラー
◆型式      日野T11B + T25
◆寸法  長13,880 × 幅2,400 × 高2,860(㎜)
◆WB              5,000㎜
◆車輌重量        11,400kg
◆車輌総重量     16,950kg



全長13.88mと当時は破格の超大型車輌でしたがセミトレーラーの特性を生かし、7m 幅の直角な道路を曲がることが可能でした。

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当時の路面電車に迫る定員は輸送力逼迫に悩むバス事業者には大きな魅力で大都市を中心に日本各地のバス事業者に納入されました。
地方でも仙台や金沢・札幌などの県庁所在地の様な中規模都市でも活躍しました。
当時の日本では主要都市でもそれにすら満たない狭隘路も多く運行可能な路線はある程度限られていました。

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⚫︎新日国工業で続々誕生するトレーラーバス⚫︎
新日国工業は日野重工と同じく自動車産業への転換を図ったメーカー。国鉄バスの指定架装メーカーとなり昭和30年代までは各地で新日国工業を架装したバスが見られたが次第に日産自動車との関係が強化され、日産キャブスター、エコーなどのバス架装を担い現在は日産車体戸塚製作所となっている。

定員96名+乗務員3名(運転手1、車掌2)を誇り全長10.5mのトレーラーには、大型ボギー路面電車並みの収容力を確保し車体には1〜2箇所に乗降扉を設けて1〜2名の車掌が乗務、それぞれにブザーを押して、孤立した運転席に「発車オーライ」の合図をするという運転方法をとりました。

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⚫︎日野トレーラーバス車内⚫︎
資材不足の折、簡素な車内だが吊革やスタンションポールなど必要なものは付いている。定員96名と謳っているがカタログには150人乗りともあり、下にある新車展示会では250人乗りと書かれており実際には乗れるだけ載せていた。

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このトレーラーバスは、日増しに増え続ける復員兵による混雑や、車輌不足に悩む事業者には好評をもって迎えられ僅か4年間の生産だった日野トレーラーバスは改良型のT12B + T25やT12B + T26、トロリーバス用のトラクターヘッドを東芝が試作するなど復興期のバス輸送に貢献しました。

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1950年代に入るとバス火災事故により安全基準の制定(非常口や客用扉取付などの対策実施)や運転に容易な単体型ボンネットバスや収容力が大きいリヤエンジンバスの普及により1950年に日野産業はトレーラーバスの生産を終了しました。


トレーラーバスの活躍は戦後混乱期のリリーフ的役割にて登場したので資材や工程も充分では無く総じて短命でした。そのなかで東京急行(現在の東急バス)では東京駅ー池上駅、東京駅ー雪ヶ谷間に15セット導入されて乗車定員は通常の2倍以上、混雑時は詰め込んで3輌分は運んだと言われています。東急バスでは車体更新も行われ1956年まで活躍を続けました。



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⚫︎銀座四丁目交差点を行く東急トレーラーバス⚫︎

車体更新後の姿でバス窓となり前面方向幕も大型化された。東急バスは昔から車体更新を経て使用期間が長いことで知られているがトレーラーバスはもちろん進駐軍払下げのGMCのKCGW353(DUCK)や戦中戦後活躍を続けたトヨタKC型や日産180型も車体更新を受けて永らく活躍した。東急のトレーラーバスは1956年に交通量も増えたこともあり運行停止ののち廃車となり姿を消し活躍はおよそ6〜7年と東急バスでは短命であった。
前掲の仙南交通が撮影された位置と変わらないが進駐軍が撤退して英字の看板の大半が姿を消して時代の移り変わりが分かる。




*当時、アメリカは日本のもと軍需産業に残された工場や設備・資材の一部を自国への現物賠償に充てようとして日野重工業もその対象となった。

**乗務員5名はトラクタ3名+車掌2名。営業運転では通常トラクタ(運転手)1名+車掌2名が多かった。