子供たちの飽きと私の思い | 富士見競馬日記

富士見競馬日記

埼玉在住早島さんの競馬日記

数週間前のことだが近所の集会所でお祭り的なイベントがあった。

 

行ってみると地域のご老人が輪投げ等いろいろな催しを準備してくださっていた。

 

子供を連れて折り紙を教えてくれるご老人の席に行く。

 

私も一緒に座らせてくれたので子供数人+私でおじいさんから説明をうける。

 

苦戦しながらもみんな上手に出来上がり、非常に楽しかった。

 

するとおじいさん、次の折り紙を出しまた別のものを教え始める。

 

それが終わると、また別のものが始まる。

 

私は全体を盛り上げようと、そういう役割を意識して演じていたのだが、

 

子供たちの表情に「飽き」を感じていた。

 

おじいさんはというと、一生懸命な様子だ。

 

私は40代だが老いを感じ始めている。

 

この1年も病院通いもあったし、今朝も薬を飲んできた。

 

毎年の人間ドックもいい結果ではないし、人間ドック自体も大変だ。

 

何が言いたいかというと、このおじいさんも、大変な日常を送っているはずだし、

 

体が痛む場所もあるのかもしれない。

 

そんな状況で我々を楽しませようと頑張ってくれているのだ。

 

これは感謝しかない。

 

だが子供の状況もわかる。

 

自分が子供のころを思い出してみると、まわりの事など知ったことではないと思っているし、

 

老人の体調の辛さなど想像もできなかった。

 

おじいさんの顔を見よ。

 

一生懸命さと楽しさが同居している。

 

私は「そろそろ行こうか」と言い出せず、子供たちも言い出せず、

 

そのまましばらくそのおじいさんから折り紙を習った。

 

そしていいところで「それではそろそろ」と言い、

大きな声で「ありがとうございました」とお礼をいった。

 

子供たちも続き、みんな笑顔だった。

 

こちらが飽きていても、おじいさんがここまで準備してくれ、大いなる努力でこちらに接してくれたことに、礼儀正しく感謝しなければいけないと思う。

 

ありがとうございました。

 

おじいさんも少しでも楽しい時間が過ごせたのなら、私たちも嬉しいです。