今日は昨日の続きを書こうと思っていたのだが、思いがけないニュースが飛び込んできた。
加藤和彦氏の自殺報道だ。

私は加藤氏と知り合いでもなんでもない。
ただ同世代。私が先の見えない俳優の世界で悪戦苦闘をしている二十歳前後の頃に
彗星のごとく現れ、大ヒットを飛ばし、そして結成したバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」を
惜しげもなく解散し、三人それぞれが、自分の道に帰ってゆく……
確か彼らは大学生だと記憶しているが、一人のメンバーは「こんなの遊びだよ」と云うが如く
医師の道に帰っていった。

彼等の生き方は、それまでの芸能界では考えられない行動で、当時の同世代に喝采を浴びた。
「そんなにあくせく生きたってそれが何になるの、もっと気楽に生きようよ」そんなメッセージを
口角泡を飛ばし、学生運動とか、エコノミックアニマルとかに突っ込んでいた若者に
「その生き方は、カッコ悪いよ」と、全く違う角度から攻めてきた。

実は彼らに影響された同世代は一杯いるのだ。
例えて云えば「子供とは友達関係ですよ」こんなことを言い出したのも団塊の世代だ。
それがカッコいいとされていた。
そしてそれを実践した団塊の世代が居た訳だ。

結果は私がここで書くことも無い……大きな間違いだった。
子供と友達関係?……それを親の逃げという。
だがそれに気付くのに、二十年近い年月を必要とした。

加藤氏を遠くから見ていると、とても自由な、才能ある人生を送っていた人のように見えた。
時々、TVの映像に映し出される加藤氏は、ああ、あの人は数十年前、団塊の世代に喝采された
自由な人生を謳歌しているんだろうな、と少なくとも私はそう思っていた。

前述した、「下妻物語」あの主題歌を木村カエラに歌わせているのも加藤和彦だ。

その加藤和彦が何故に自ら死を選んだのだろう。

これからは私の推論だが、当たらずといえども遠からず、同じ年代だから分かる。

加藤氏には虚無の嵐が襲ってきたのだ。
自分は何の為に生きてきたのか
これから何の為に生きるのか
人生とはいったいなんなんだろう
自分とはなんなのだ……

人間、これに襲われると、ひとたまりも無くやられてしまう……
そして選ぶ道は……生きていてもしょうがない、こんなに空しく悲しいなら、死んだ方がましだ…と
死は決して恐くも苦しくも無い……生きる目的を失ったものには。

いつもポジティブな私が、こんなネガティブなことを書き込むなんて、珍しいとみんなは思っているだろうが、これは君たちがいつの日か必ず通る道だからあえて書いた。

だから私は、矢沢永吉が凄いと言っている。
人間、どんなに成功しようが、虚無から逃げられない。

唯一、そこから抜け出すには、いつも新たな目標を作ることだ。
それが、伴侶であったり、子供であったり、孫であったり、仕事であったり、趣味であったり
それはなんでもいいのだが、自分がまだ誰かから必要とされている。
この感覚を、一生涯、無くしてはいけないのだ。

そしてそれは、必ず自分で作り出さなければならない。人に与えられるものではない。

加藤氏の自殺報道を聞き、こんなことを強く感じました。

                                           つづく