こんな私ですけどよろしいでしょうか -459ページ目
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2007年05月22日

2度目と3度目

テーマ:これまでのあらすじ

前回の流産から3ヶ月以上経った頃、

その頃にはクロミッドでは卵胞は育たなくなり、

hMGである「フェルティノーム」を毎日打ち、駄目だったらドオルトンでリセットをする・・・

という治療に変わりました。

ただ、元々の病気(子宮内膜増殖症)のため、多嚢胞性卵巣症候群も心配され、

hMGは、最小量の投与となりました。

そして、土曜・日曜 休みも関係なく毎日病院に通い続け、

2週間後卵胞のサイズもOKとなり、hCGで排卵をさせました。


2005年の5月、2度目の妊娠。

けれど、やはり4週ほどで出血。

病院に着いた時には、数日前の検査で見えていた赤ちゃんの袋も見えていませんでした。

手術を・・・と言われましたが、車の中でパンを食べてきてしまい全身麻酔がかけられず、

次の日の朝まで手術は延期に。

悲しかったですが、空腹で別の意味でも涙がでてきました。



そして同じ治療で約半年後に3度目の妊娠。

同じく数日で出血が始まり病院へ。


この頃の流産は、母体の原因より赤ちゃんの方に異常がある事がほとんどなので、

本当はどれだけ安静にしていても、ダメな時はダメだと聞いてはいるけれども、

安静しないよりした方がいい事もあるし、何かあっても後悔しない・・・・と

先生方と私の意見により、今まで出血があると自宅で安静にしていました。


しかし自宅で安静するも、なかなかじっとしていられず、

3度目の時は病院に入院する事にしました。

「安定期に入るまで、入院が必要ですよ」という先生の言葉で、

長期の入院を覚悟したものの、

入院3日目で赤ちゃんの袋はお腹の中から出て行ってしまいました。


前の2回は、緊急手術のため空いている先生がソウハ手術をしましたが、

3度目の時は、不妊治療の先生がちょうど空いていたので、

わざわざその先生が手術をしました。

手術室の中で会った先生は、マスクで顔のほとんどが隠れていて、

あまり表情は分かりませんでしたが、

悲しそうな目をしていたのは今でも忘れません。



ちなみに、2度目・3度目の妊娠時、

体温が高温期に入ってから、

流産するまで黄体ホルモンの薬を飲んでいましたが、

効果の程はいまいちよく分からなかったです。

色々調べてみても、この効果はやはりイマイチらしく、

気休め程度のようです。

でも、「安静」の事と同じく、飲まないよりはマシなのでしょうか。



また、この3度目の流産の後、

2週間ほど会社を休んでいたのですが、

明らかに前の2回より、腹痛や出血など、

体の回復が悪かった気がします。

歳のせいもあるとは思いますが汗

1年半で3度の流産は、それだけ体に負担がかかるのだと思います。

2007年05月21日

想定外

テーマ:雑日記

このブログを立ち上げ、

「さてさて今日から病院~病院 。ブログに書かなきゃねー」と意気込んで行き、

過去の流産・治療の事も、あらかじめメモ帳に書いておいたので細かく書く事ができ、

先生の質問だって「どーーんとこい!しゃきーん」と待っていたのだけど、

採尿の検査結果を見た先生が「妊娠反応が出てますよ!」


はてなマーク


ありえない!あんぐりビックリ

実は3月・4月と生理がなかったので、

そのための薬ももらおうと思っていたのだけど、

とりあえず・・・と何度か市販の検査薬をためしていたが、

どれも陰性反応だったのだ。もちろん2週間前にも試してみたけど・・・・。


「内診してみましょう」と超音波で見てみると、

「多分これかなーーーーー?」という「点」があり、

一応妊娠反応が出ていることもあり、前の大学病院で漢方を飲んでいたので、

漢方を飲みつつ1週間様子を見ることに。


でも、数日後、自宅に帰って残っていた検査薬で試してみたけど

やっぱり陰性汗半信半疑のまま1週間が経ち再び病院、

まだはっきり見えないため、もう1週間待ってはっきり見えれば・・・・と

思っていた次の日(昨日ね)、出血が始まりました。


朝はまだ赤茶色をしていたが、夕方には生理2日目のような出血。

結局、超初期の流産「化学的流産」との事。

この流産は今までのものとは違い、

場合によっては「ちょっと生理のひどいの」程度にしか感じないまま

終わってしまう事もあるそうで、改めての手術も必要なく、

次の月にはすぐに妊娠しても大丈夫なため、普通の生理と同じような扱いでいいそう。


これまで半信半疑の妊娠だった上、今まで2ヶ月も生理がなく、

治療無しではまともな卵が育たないと分かっているので、

「ちゃんとした卵でなかっただろうから、多分ダメだろう」と思っていたので、

「やっぱりなーえへへ…」なのが感想。

冷たいと思われそうだけど、

2ヶ月もなかった生理が来たわけで、「体内のリセットができた」と涙もなかった。

ただ、この「赤ちゃんになれなかった卵」のおかげで、

次の子のための準備ができる訳で感謝はしています。

「今回は姿さえ見ることができなかった君だけど、いつかちゃんと産むからね!頑張る」と

心に誓っている今なのです。



ちなみに、今日は仕事の日。

でも、ちょっとだけ甘えさせてもらって

今日一日だけ休ませて貰いました~にゃ

その隙に、製作途中だったこのブログをUPしたのでした。


みなさん、これからも遅筆かもしれませんが、

よろしくお願いします~ひよざえもん ラブラブ

2007年05月21日

1度目の流産

テーマ:これまでのあらすじ

不妊の検査の結果、

黄体ホルモンに少々の異常がある程度で、

最初の頃は、クロミッドを使って排卵の調整をしていました。

私の体は自力で生理を起こす事がなかなかできないため、

生理5日後位からクロミッドで卵巣を刺激し、卵胞を成熟させ、

うまく成熟・排卵しない場合ルトラールでリセットをかけて・・・・またクロミッドを飲んで・・・・・・

そうこうして、最初の手術から1年半ほど経った頃、

待望の妊娠反応が出、病院でも妊娠の診断が出ましたビックリマーク


しかしその日の晩、出血があり再び病院へ

この時期の出血は、ほとんどがどうする事もできないという事で、自宅へ戻り安静。

その後も茶色い出血が続き、週明けには遂には生理のような出血になり、

緊急入院。結局赤ちゃんの袋は見えなくなっていて、そのままソウハで子宮の中を綺麗にする

手術が行われました。



平日だったため、病院へは私1人で行っていての緊急入院・緊急手術。

旦那は建設業のため、病院から車で2時間以上かかる現場に行っており、

到底手術まで間に合いません。

とりあえず、全身麻酔という事なので、

病院の人の許可をもらい、手術室(この時は分娩室でした)の中から

携帯で旦那に電話。

「もう間に合わんから、手術終わって麻酔から目覚める頃までに来て。今から連絡つかんからね!」と言って

1人手術に挑んだのでした。


手術担当の先生は、年配の先生ですが気さくな感じの先生

(この大学病院の産婦人科の先生は、厳しくも優しかったり、気さくだったりと、私はどの先生も好きですラブラブ

看護師さんも色々話しかけてくれ、1人でも緊張はそれほどしませんでした。


手術が終わり、目覚めたて少し歩けるようになった頃には旦那も到着していて、

二人で先生の説明を聞きました。

赤ちゃんの袋は見えたものの、心拍(赤ちゃん自身)は確認できておらず、

この時期の流産は赤ちゃん自身に異常がある事がほとんどだという事。でした。


この日の晩は病院へ泊まり、次の日の夕方自宅へ戻りました。

病院では何事もなかったかのように振る舞い、

それまで泣く事を我慢していましたが、家に帰ったとたん涙が止まらなくなりました。

産んであげられなかった事。いくら赤ちゃん自身の異常だとはいえ、

その元は私の体の中の卵。私がダメなんだと、何かとあれば泣いていました。

仕事は体の大事をとり、2週間ほど休みを取っていましたが、

最初の1週間程は毎日のように起きている間はずっと泣いていました。

その間、仕事に行っている旦那もかなり心配していたようです。


そして2週間経ち、流せるだけの涙を流し終えた頃、

家にいてもふさぎ込むだけなので、気分転換も兼ねて職場復帰をし、

そして次の妊娠へ向けて再び治療を再開する気力を溜め始めました。



かお今後、不定期に続きを書く予定です。

2007年05月21日

事の始め

テーマ:これまでのあらすじ

治療を始めるまでのお話です。


2002年に結婚して1年も経たない頃、生理の出血が1ヶ月以上ダラダラと続いていました。

元々生理不順気味で、その時の出血も量は少なく「今にも終わりそうなんだけどなぁむっ」という状態で、

私自身「今日にも終わるか」「もう終わるか」と、ダラダラと過ごしていたのですが、

ある日突然激しい腰痛がビックリ

旦那にマッサージをしてもらおうにも、触っただけで痛くてたまらず、

さすがに「おかしい?!」と感じて」、会社の近くの市民病院の婦人科に行きました。


内診・MRIと診てもらい、子宮内にポリープを発見。

開腹手術をしなくても治療できる、設備が整った大学病院へと転院する事になりました。

で、そこでついた診断が「子宮内膜増殖症」(間違えやすいですが子宮内膜症とは違うのよ)

内膜が異常に増殖して厚みを増しすぎ、剥がれ落ちにくくなってしまい、

場合によっては癌へ移行する事もある病気です。


幸いにも「子宮鏡手術」という、子宮口から内視鏡を入れ

モニターしながら中のポリープを切り取ったり、

「ソウハ(かきだす)」したりする手術をし、

2泊3日程度の入院で自宅に戻って来られました。

そして、術後の経過を見るため、1ヶ月に1度程度、

大学病院に通院していました。


その頃には32歳も目の前だった私。

病気も先生には「どれだけ先になるかわからないけど、必ず再発する」と言われていたので、

早く子供を・・・と思い始め、

そろそろ夫婦生活も解禁の頃、

主治医に「元々生理不順のため、子供ができない気がする。

不妊治療がしたい」と言った所、

私の主治医は腫瘍の専門の先生だったため

同じ産婦人科内の、不妊治療担当の先生へ担当を替えてもらいました。

そして、私の不妊治療がはじまるのでした。

2007年05月09日

はじめまして

テーマ:はじめに

私が不妊治療を始めたのが2004年。

その時は、すぐに妊娠できて子供が産める・・・と漠然と思ったものですが、

実際は、1回の妊娠までの道のりは数ヶ月単位で、

しかも何度も流産を繰り返し、2007年5月まで、

流産を4回経験し、今でも無事出産にまで至っていません。


何度も妊娠をし、何度も流産や早産の不安を抱えながら、

その都度私ができる事といえば、

ただひたすら「待つ事」のみ

でも、待っているだけでは不安に押しつぶされてしまいそうになり、

毎日のようにネットや本で、情報や体験談を読み漁っていました。

だからといって、自分の体に何か効果があるわけではないのですが、


自分の体調が悪ければ、少しでも大丈夫だという安心を得たい

自分の体調がよければ、少しでも悪い前兆を見つけるようにしたい

幸せな体験談の場合は、イメージトレーニングのように


という気持ちであちこち見て回っていました。

そうして、自分の精神を安定させていました。



昨年秋、安定期に入った赤ちゃんを流産し、

一時は諦めようかと思った赤ちゃんですが、

半年が経ち「また挑戦したい」と思うようになりました。

で、「ゴールデンウィーク明けに治療を再開する」と心に決め(深い意味はないのですけど)、

いよいよその時期が近づき、治療を再開すると共にこのブログを立ち上げたのです。



ここでは、その治療を中心に日々の事を記録していこうと思っています。

ネタがない時は、週に一度くらいしかUPできないと思いますが、

私がそうであったように、ここを覗いた人の気持ちを少しでも軽くできればいいなと思っています。

内容はできるだけ、重い雰囲気にならないようにしたいなと思っています。

ブログを読まれる方も、軽い気持ちで読んでください。


hayachi

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