(なお、以下では 「干支」を、hayvan takvimi を 直訳して <動物暦>、また、テュルク系の諸民族を意味する箇所については 単純に <テュルク族>と しています.)
=============================================================
テュルク族は 古くから暦を 使ってきた. Göktürk(突厥、紀元後5~6世紀頃)の時代には 各種の暦が 作られるようになったが、そのうちで 一番重要なのが 動物暦であった. テュルク族は 12年のそれぞれに 動物の名前をつけた. 動物暦には 24年あるいは28年を 周期とするものもあった.
カシュガルル・マフムドが伝える伝説によれば 動物暦の由来は こうである.
あるとき 王が 昔起こった戦争のことを知りたいと思ったが、その戦争が 何年に起こったのかを記述する暦がなかったので 知ることができなかった. 王は 家来たちを集め この問題を解決するよう命じた. 会議が開かれ、天に 12宮、年に 12ヶ月あることに鑑み、12年のそれぞれに 名前をつけることが 決定された. 王は狩に出かけ、民に命じて 野生の動物たちを ルス川に 追い込ませた. 一部の動物は 狩で 捕らえられ、その他の動物は 川の中に 追い込まれた. 川の中から 12匹の動物が 出てきた.最初に 水から出てきたのは ネズミだった. それで 最初の年は ネズミ年と 決められた.こうして 12年の動物暦ができた.
キルギス族には 別の伝説が 伝えられている.
たくさんの動物たちが 新年を最初に 見るために 集まってきていた. ラクダは 背が高いので、自分が一着だと信じて疑わず、のんきに構えていた. ネズミは ラクダの背中に乗って 最初に 新年を見、一着になった. その他の動物も 順番に 新年を見たが ラクダは のんびりしすぎて 新年を 見そこなってしまった.
アルタイ族の伝説では こう伝えられている.
ラクダとネズミで どちらが先に 新年の光を見たかで 言い争いになった. 最初に光をみた順番に 年の名前がつけられることに なっていたから. ラクダは 西を向いていたが、賢いネズミは ラクダの背中で 振り向いて 東を見たため 一着になった. ラクダは 結局 新年の光を見ることができなかった.
使われる動物の名前は 各民族により 若干の異同がある.
第01年: Sıçgan ネズミ(sıçan あるいは fare)
第02年: Ud ウシ(öküz あるいは sığır)
第03年: Pars ヒョウ、あるいは トラ kaplan ときに ライオン arslan
第04年: Tavışgan ウサギ(tavşan)
第05年: Luu veya Nek タツ(ejderha)、ときに 魚 balık あるいは ワニ timsah
第06年: Yılan ヘビ
第07年: Yunt/yont ウマ(at)
第08年: Koyun ヒツジ(koyun と 去勢しない牡羊 koç)
第09年: Biçin サル (maymun)
第10年: Takagu/takıgu ニワトリ(tavuk と 雄鶏 horoz)
第11年: Köpek イヌ
第12年: Tonguz イノシシ(domuz)
それぞれの年には それぞれ違った特徴があると 信じられている.ネズミ年は 流血、泥棒、害虫がはびこる・・・など.
動物暦の起源を考える上で、ステップ(草原)の文化が重要である. ステップの文化では 動物が 非常に重要な位置を占める.彼らの文化は 天と地の信仰を中心に 発展した. 宇宙、東西南北、獣形神、図像、占星術のシンボル、月と太陽、獣父・獣母信仰、先祖崇拝、シャーマンが動物の魂に憑依する信仰などは ステップ文化の要素である. 要するに、動物はステップ文化の重要な要素なのである. テュルク族の動物暦も このステップ文化に由来する.
フン・テュルク族の時代(4世紀頃?)に 動物暦は 使われていた. 動物暦の動物の一つである<タツ>は フン・テュルク族の創作になるものである.
12動物暦は Göktürk(突厥)の時代(5~6世紀?)に 使われ始めた.
フランスの<中国学>者 Edouard Chavannes によれば 動物暦は 紀元前5世紀頃(ということは 匈奴の時代?) テュルク族の中で生まれ、紀元前1~2世紀に 中国に伝わったものである.
別の学者 Williams も 同様に考えているが、彼によれば、中国で最初に 公式に動物暦が使われたのは 唐代(7~10世紀)であるという.
また、ハンガリーの学者 László Rásonyi は、動物暦が テュルク族起源であることを認めつつも、中国で発展して テュルク族に逆輸入されたと 考えている.
その他、動物暦が エジプトや バビロニア起源だとする説も紹介している.
中国とテュルク族の動物暦には 類似点も多いが 新年の時期など相違もある. テュルク族の新年は 元来 太陽が長くなり始める 冬至の日であった.仏教徒のウイグル族は 春を新年とした.
動物暦は 広大な地域に住むテュルク族の間で使われた(西のドナウ・ブルガル族から 東シベリアのヤクート族まで). セルジュク朝トルコでも 動物暦が使われた.
動物暦は 12年を何回かまとめることにより、60年、120年、180年といった拡張も 行われた.
=============================================================
以上、おもしろそうな所だけを つまみ食いしたものです. 皆さんは どっち派でしょうか? なかなか むずかしいですよね. ただ、ラクダとネズミの逸話は、動物暦が ラクダのいない土地で作られたことを 示しているように思われます. のちに、ラクダのいる土地で、動物暦にラクダが含まれてないことの理由付けとして、ラクダとネズミの説話が 作られたんじゃないですかね. ま、動物暦には ネコも 出てきませんけどね. トラで代用かな?
トルコ人学者には 多いのかもしれませんが、上の文書の筆者も 匈奴やフン族を すべて テュルク族であると しています. 中国史上に現れる 狄、丁零(高車)、突厥、鉄勒については、日本でも 概ねテュルク系の民族であると 考えられているようですが、匈奴やフン族については 日本では 必ずしも テュルク族であるとは されてないんじゃないかな. むしろ テュルク族、モンゴル族などの 連合体ないし混合体とする見解が 多いような気がしますが.
余談ですが、杜甫と並ぶ中国の大詩人 李白は 漢民族でなく西域の民族の出身とする説が 根強くあるようですね. とすると、彼が テュルク族の出身という可能性も高いですね・・・おもしろい.
参考リンク
http://tr.wikipedia.org/wiki/12_Hayvanl%C4%B1_Takvim
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3%E6%97%8F
これも 恐らく レヴァンテンの家(Bornova で)
