2017-07-28 00:20:29

クェゼリン慰霊の旅・17

テーマ:ブログ

(承前)

 

 ロビーに全員集まったところで、みんなで三枝さんの部屋に移動した。歌の練習をするためである。部屋に入ると、自然とベッドを取り囲み、パート別に一列に並んだ。・・・僕はみんなの前に立って、ぐるりと見渡した。それぞれ真剣な表情をしている。僕は頭の中でそっと、みんなに軍服を着せてみた。そうすると、まるで、これから特攻に出撃する兵士のように見えた。これが、最後の水杯である・・・。

 僕はリーダーシップをとってピッチパイプでイ音を吹き、自ら「君が代」のはじめの節を歌い出した。みんなそれに合わせて合唱する。まだ朝8時であったが、みんな、もちろん、第一声から全力だった。・・・このぐらいの気持ちで臨まなければ、壮絶な死を遂げた彼らに対して、慰霊などすることはできない。・・・これが僕たちのルールだ。出し惜しみなどする者は誰もいない。音程が外れてしまったり、途中で声がひっくり返ってしまったりする者もいる。けれど、それでいい。声が嗄れたらそれまでであるし、むせるならむせればいい・・・。僕たちは彼らに、美声を聴いてもらうのではない。美しいハーモニーを聴いてもらうのでもない。僕らの誠心誠意のふるさとの歌、魂の歌を聴いてもらうのである。それは、僕らが見繕わない限り、彼らと何か同一のものを含んでいる・・・と信じて・・・。だからこそ、僕らの歌は、彼らのこころに直接届き、魂に響き、そして、震えるのである・・・。

 ・・・男たちの荒削りの歌が、部屋いっぱいに響いていた。ここで僕らが大切にしたいことは、自らの歌に対して、自分たち自身が、納得がいくかどうかである。・・・僕らは出発の時刻が過ぎるまで、声の限り、納得のいくまで、何度も繰り返した。

 

 僕らはロッジを出て、専用バスに乗りこんだ。

 バスは、フェンスに囲まれた飛行場の脇を通り、島の西側へ、クネクネと走った。島の西側というのは、73年前、アメリカ軍が上陸してきたビーチがある。

 ・・・島の西側をめぐり、猛烈な戦いは悲惨を極めた。爆撃や艦砲射撃を雨あられのごとく受け、多くの犠牲者を出しながらも、日本兵はここでじっと耐え抜いていた。隠れるところなど、どこにもないのに・・・。1944年(昭和19年)2月1日に続き2日早朝、戦艦4隻の援護射撃、空からの爆撃、また占領された近隣の小島からの援護砲撃の下、水陸両用戦車74両に引き続き、第一陣として10,000人以上の「第七海兵師団」が上陸した。・・・上陸を簡単に許すも、その後、西海岸をめぐる日本軍の反撃は凄まじかったという。司令官、秋山門造(明治24年12月30日〜昭和19年2月2日)海軍少将が「各隊は、一兵となるまで陣地を固守し、増援部隊の来着まで本島を死守すべし」と命じた、午後の攻防だった。

 秋山少将は、その夜、前線視察に出る際に、アメリカ軍の砲撃を受けて戦死してしまうが、それを引き継ぐ阿蘇太郎吉陸軍大佐の指揮で、「神風」ならぬ深夜の嵐の中、夜襲を決行。一時的に成功するも、凄まじい砲撃を受けて後退。

 ・・・次々と上陸するアメリカ兵に、日本軍は為す術がなかった。反撃するも、それに勝る圧倒的な戦力で一掃され、鎮圧されていった・・・。

 

 ・・・ここでは全てのものが粉々に破壊され、そして根こそぎ焼き尽くされた。浜辺の椰子の木も美しい南国の花々も、滑走路も飛行機も、戦車や大砲も、トーチカも弾薬庫も、軍艦や輸送船も、司令部も通信施設も、構築陣地も簡易の壕も、そして、兵士ひとりひとりも・・・。負傷し、倒れ、血みどろで、内臓が飛び出し、手足はバラバラで、丸焦げになり、そして地面の土と灰に混じった・・・。身体も、こころも、思い出も、希望も、永遠に・・・。

 現在、バスから見る限り、島はどこまでも平らで、すべてが整えられており、静かな時だけが流れている・・・。残念ながら、彼らの痕跡は、もう無いに等しい。ただ、南国の光と海風の中で、陽炎となって幽かに揺らめくだけである・・・。道中、さまざまな形をしたレーダーがあるのが見て取れた。それは、あまりにも人工的過ぎて、そして、あまりにも無機的に静かなので、恐ろしささえ感じられた。平和の裏返しとばかり・・・。(この恐ろしさは、原発を初めて見た時の恐ろしさに似ている・・・。)

 無情にも時が経過し、時代が移り、島もそれに応じて変わっていった。自然そのものの島の姿、そして先祖とともに生きた島民たちは一体どこへ・・・。そして、黒焦げになった兵士たちが、そのまま、ここに、取り残されている・・・。まるで、何もここでなかったかのように・・・。誰にも、何も、思い出されることなしに・・・。

 

 10分ほど走ると、バスは広い空き地に停車した。僕らはバスを降りた。

 そこは、とても特別な場所だった。西洋風の墓地と、日本の神社を兼ね備えたところ。・・・芝はきれいに刈り取られており、西洋の墓地にあるような真っ白な低い柵によって他と明確に仕切られている。周囲には椰子の木が生えているが、柵の中は特別な聖域。中央の慰霊碑を挟むように、杉のような針葉樹が二本、並んで植えられていた。針葉樹は優に10メートルを越えている。幹も僕の胴よりも太い。南の島にあろう筈もない針葉樹。一体、いつ、誰によって植えられたのだろうか・・・。ともあれ、この神聖な雰囲気は、まちがいなく、この針葉樹によってかもし出されている。この木が、根から吸い上げたものは何か・・・。「木」は「気」であろう。それは、ここに眠る人の「気」だ。兵士たちの尊い命は、それを大切に思う人のこころが、更に尊いものにする。兵士は死ぬと神になる・・・と教え込まれた。もしかしたら、本当に彼らはここで神になっているのかもしれない・・・。それを助長させるように、正面には赤い鳥居が立っていた。

 ・・・僕は驚いた。まさか、アメリカ軍の基地の中に、赤い鳥居があるとは・・・。しかも、アメリカ人によって、これほどまでに、きれいに管理されている・・・。

 

 慰霊式の準備は、僕らが到着する前に、アメリカ軍によって既に整えられていた。鳥居の前にテントが張られ、その下にテーブルや椅子がセッティングされてあった。テントは、しっかりした杭と太いロープで張られており、強い風にもびくともしなかった。

 僕らもすぐに準備に取りかかった。まず、遺族会の会長が日本から持ってきたロープと旗を受け取った。そして指示されたように、二本の木の枝にロープを張り、慰霊碑の両脇に垂れ下がるように旗を縛り付けた。向かって左から、マーシャル諸島の国旗、アメリカ合衆国の国旗、慰霊碑を挟んで、日本の国旗、「マーシャル方面遺族会」の旗。強い風に煽られ、この作業は、なかなか難しかった。

 慰霊碑の前に白い布が敷かれ、銘々がお供え物をした。正面には、朝香宮殿下が持参した音羽正彦海軍大尉のお写真。遺族会のご家族が持参したお写真、靖国神社のお酒やお菓子、鞠や手折り鶴、お水やお花・・・。白い花輪は、「マーシャル方面遺族会」と「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」がそれぞれ出した。僕は日本から持ってきたお米と小豆をお供えした。・・・それぞれ、気持ちのこもったもので、慰霊碑が突然にぎやかになって、嬉しく思った。

 

 御影石で組み合わされた慰霊碑は箱形で、上部は屋根のように軽く傾斜がつけられ、社のごとく堂々とした様であった。正面は額縁のようになっており、一辺が4〜5センチほどの正方形の石がいくつも組み合わされたデザインが施されてある。それらの石をよく見てみると、都道府県の名がひとつひとつに刻まれていた。・・・なるほど。これは、ずいぶん歪な形であるが、日本地図になっているのである。

 遺族会の方に尋ねてみると、これらの石は、各都道府県から取り寄せた石であるという。石には、知事が書いた文字が刻まれている。(栃木県を探してみると、特産の「大谷石」だった。)・・・これは、クェゼリンの守備隊が、全国から集まった兵士で編成されていた・・・ということを意味している。

 遺族会の悲願であったこの慰霊碑は、昭和43年に日本でおおよそ組み立てられ、貨物船でクェゼリンに運んだ後、現地で働く日系人をはじめアメリカ人などボランティアによって組み立てられたのだそうだ。図面の通り正確に・・・。

 

 

 慰霊碑の背面には、このように刻まれている。

大東亜戦争中 祖国防衛の為 マーシャル ギルバート諸島に於て 尊き一命を捧げた三万五千の英霊 ここに眠る 肉親の冥福を祈り 本会これを建つ

昭和四十三年十月 マーシャル方面遺族会会長 林茂清

 碑銘 名誉会長 朝香鳩彦王殿下書

 会銘 顧問 元総理大臣 石橋湛山夫人 梅子女史書

 碑文 会長 元陸軍中将 林茂清書

 都道府県名 各都道府県知事書

 

 そしてその左隣には英文も記されていた。

IN MEMORY OF THOSE GALLANT MEN WHO FOUGHT AND DIED FOR THEIR COUNTRY AT THE MARSHALL AND GILBERT ISLANDS DURING THE SECOND WORLD WAR MAY THEY LIE IN PEACE

 

 この慰霊碑は、間違いなく、お墓である。僕はガイドにこっそり話を聞いた――戦いの後、アメリカ兵によって、ここに大きな穴が掘られた。無数に散らばる日本兵を集め、無造作にここに放り込んだ。誰が誰とも分からず、死体は重なりあい、そして、土に還った。

 にぎやかになった慰霊碑を見ていると、まるでお盆やお彼岸のような空気になっており、先祖が子孫と同じ時をともにするお墓参りであるかのように思えてきた。・・・僕らが目指してやってきたのは、間違いなく、ここ・・・である。

 

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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