他人のインナーチャイルドを感じる事はあるのですが…
嫌悪感の人もあれば、遠い目で見られる人もあり。
インナーチャイルドとは
愛着というトラウマのインナーチャイルド
ACを知るとき、殆どの場合、インナーチャイルドという言葉も同時に知ることになるでしょう。インナーチャイルドとは、子供時代における記憶や感情のことです。ですから過去の回想作業が進めば、少なからずインナーチャイルドの出現があり、その気持ちに触れ、涙のこぼれることはあるでしょう。
それは、再体験によって思い出したこと、その時に感じ切れなかった悲しみや怒り、また愛しさなどの気持ちですが、インナーチャイルドの多くは愛着というトラウマを抱えていることが多いです。愛着というのは、愛すればこそ、または愛されたいからこそ生まれた言動のことで、そのトラウマは、その奥で置いてきぼりになってしまった気持ちとでも言いましょうか。ですからACの解決として、インナーチャイルドを癒していくことが必要なのでしょうね。
インナーチャイルドを癒すには
「傷付いている自分」と「したたかな自分」の相互理解が大事
インナーチャイルドの癒しは、自己回復のためにとても意義のある作業です。この癒しの作業に成功すると、かなりの自己肯定感が増え、それまで自己否定しかなかった日々に比べれば、どんなにか楽になられるでしょう。
しかしインナーチャイルドの持つ愛着のトラウマには、傷ついている自分と、したたかな自分の2つの感情があります。それは、支配の基で我慢を強いられ傷ついてきた想いと、その環境下に適合し、より自分を有利に楽でいられるよう必死だった自分の想い、その両方の自分を心から理解していくことが大事です。
共依存の克服・脱却
自立の裏側にある共依存
ACを知る上で避けては通れないものに「共依存」があります。
自分の承認を求めて親や誰かに依存し、またその相手も共に依存の関係にあるというものです。
共依存の関係はとても厄介ですが、そもそもは、愛着のトラウマを持っている人が、その満たされない愛情を他者に求める
というのはある意味シンプルな行為です。
自分に尊厳を与えられなかった人は、自立することができにくく、いつでも誰かに寄りかかり相手に求め続けます。
しかしそういうもの同士だからこその結びつきは強く、そして離れられない。
でもその結果生まれるものは、残念ながら、愛ではなく憎しみです。
先ずは自分が共依存に陥っていることに気づき、共依存を理解し、「今の自分はしあわせか?」と問いただしていきましょう。
ACの克服・脱却
ACの寵児となってはいけない
ACの概念に辿り付いた時、多くの人はその発見に落ち着かれます。
得体の知れない苦しみに名前があった安堵感です。
しかしACに当てはまる人々は、自分の言動に親の影響を強く受けてこられています。
それがACを知り、インナーチャイルドの目覚めにより、親からの脱却を狙おうとする傾向があります。
そして今度はACの寵児となりやすい。
つまり、今度はACに執着してその教義に振り回され、大事な自分の本質から離れていきがちなのです。
自分がACだと知ると、その克服・脱却を目指そうとしてしまう。
自分=AC になり、ACだから○○、ACだから△△というように自分そのものから離れて、AC的な部分を治そうとし始めます。
例えば、「ACは承認欲求が強い」…というところから、承認欲求がなくなればACでなくなり自分も楽になると思い込んでしまう。しかし実際にはその克服に終始してしまい、一向に楽にはならない。
何故なら、承認欲求は人間の持つ大事な欲求であり、それをなくす=AC脱却=苦しみからの解放とはならないのです。
承認欲求が満たされるのは大事なことですが、承認欲求をなくす必要はないのです。
全てはACだから…ではなく、自分だから…なのです。
ACの理解の向こうに
ACの原因が親やその境遇にあるということに囚われすぎると
親(境遇)=悪 のような構図になってしまうケースが多くあります。
ダメ親、毒親には変わりないのですが、大事な本質を見逃さない対話が必要です。
親や境遇はサブ要因です。
ACの解決を、「親がそうだったから」「自分がACだったから」という原因と結果の理解だけではなく、さらにその奥もっと深い領域の「自分だったからこの生き方しかなかった」と自然に感じていただけることを解決としています。
そう実感できてはじめて「自分ていいな」と思えるからです。
人間はひとりで生きていかなくていいのです。助け合い、甘え合う、その両方が必要なんです。
それを頭の片隅に入れ、自分は甘えん坊、弱虫、びびり…いいじゃありませんか。その個性を変える必要などないのですよ。
ACをきちんと理解し、ACを一歩離れたとき、自分の本質の理解が待っているのですから。
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このカウンセラーの話、なかなか心に入ってくれました。
今日現在。