積極的なお看取りは好きになれない | 医学と遊びと製作と-本館-

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お看取り

 

この言葉は4文字にも関わらず、安易に使ってはいけない言葉だと自分は考えています。

もともとそう考えていたのだけど、市中病院に勤めて強く上記のように考えるようになりました。

 

大学病院に勤務はしたことがなく、学生時代の経験とたまに飲み交わす同期の話を聴く程度の情報しかないのですが、おそらく大学病院には(いないことはないと思うけど)お看取りの患者さんは少ない傾向だと思われます。

 

病院毎の役割分担がしっかりしてきた今日、それはそうあって然りなのかもしれません。

自分の勤務する病院は市中病院といってもそこそこの規模の病院のため、慢性期というよりは急性期に重きを置いており、commonな疾患に出会えます。

そのため、珍しい疾患には出会いづらい一方で、人間が行き着くであろう最期というのも診ます。

 

加齢により嚥下機能が落ちた結果として生まれる誤嚥性肺炎

度重なる開腹歴のため生じる癒着性腸閉塞

心不全の成れの果て

...etc

 

そういった方々への説明をするとき、最初に聴取しておけと言われる「DNAR、延命不要」というワード。

 

急変時フルコースの場合、若い方であればCPAとなれば全力救命。

DNARがあれば、せいぜい酸素、輸液くらい。

 

後者のほうが圧倒的に楽ではあるし、PCASのリスクを考えれば妥当な選択なことも多い。

でも、高齢者だから全例DNARというのは違うと思ってしまいます。

 

人によっては、何かあった時の免罪符代わりにDNARをとっているのではないかと勘繰ってしまうことがあります。

 

当然、「もう十分生きたから」

と言われるとそうかな...とは思うのですが、

昨日までぴんぴんしていて元気な高齢者が突然CPAになったら

「救ってください!」

と周りの関係者が言ってくるのも妥当だとも思ってしまうのです。

 

2年目になり、CPA・ACLSリーダーを担当する症例が増えてくるにつれ、自問自答をする場面が増えてきました。

"説得はせずに"蘇生はしない方向に誘導していく上級医の説明に慣れ、

自分も似たような説明をしたときに

「自分はこんなで良いのだろうか」と。

 

価値観や考え方は人によって様々であり、

押しつけるつもりもないのですが、

「こんな背景の患者さんだから○○まででいいか」

という”積極的な”妥協だけはしたくありません

 

かといって、本当の意味での"お看取り"もいるため、

いたずらに救命するのもよろしくないというのが難しいところなのですが。

 

3年目以降、無駄な"お看取り"を増やさずにいたいものです。

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