2017年2月の過去記事

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過去にも未来にも
今、許しを伸ばしていく。
 
 
傷つかないように、
傷つけられないように、ではなく
 
未来の自分に対しても
傷つくこと、
傷つけられることを、認める。
許す。
 
泣くこと
悲しむこと
嘆くこと
辛い気持ちになることを
許す。


そうなってきたことも、含めて
 
過去も今も未来もまとめて、許す。
 
 
 
もし、大切な人に裏切られた、
あるいは裏切られるかも、と思ったなら、
 


もし、大切なときにしてはいけないことをしてしまったなら

あるいは、これから何かを間違えてしまうかもしれない、と想像してしまったなら……

 
ものすごく悲しいだろう、痛いだろう、寂しいだろう、悔しいだろう。
 
 
 
でも、そんな気持ちになること、なる自分を許したい。


そうなる可能性がこれからの未来にあるだろう、
ということそのものも、受け入れていく。

 
そして、未来の自分はそれを受け入れることができるだろう、と
無条件に信頼する。

 
なめんなよ、自分を、ってねカナヘイ花
 
 


 
そして、そんな気持ちになってきたこと
なったことがある自分に対して、
今からでもいいから思い切り許す。
 
 
それが過去にも未来にも、今、許しを広げていくということ。
 
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わたしは、
 
”とりあえず何があっても自分は自分からは離れることはできないから、
 
そんな自分が最終的にずっとそばにいる見方でありパートナーであるのだ
 
 
”そして、他者や外の世界がわたしにどう接するのかよりも
 
わたしがわたしに対してどう接するのか。最終的に必要なのはそこだけ
 
 
ということ心底感じるたび、

 
わたしの中にある「不安なイメージ」や「されたくないこと」などは

すべて形を変えて存在するようになりました。
 
 
 
こんなことが起きたら嫌だなとか
こんなことになったら嫌だなとか
そういうのはわたしにももちろん、あります。
 


でも、そういった不安や未来に対する恐れが
わたしを脅かすものではなくなりました。


 
強くいることだけが必要なことではないし、
弱くいることの可能性も存分にあることの豊かさ。


 
先のことがわからないということは、
これほどにも豊かなことなのだなとも、同時におもうのです。
 
 

不安や恐れ。
未来に対する混沌とした思考。


 
それらをむしろ感じるたび
恐れに触れるたびに、
わたしは強く自分の中で確信するのです。
 


 
何が起きても、
わたしがわたしを大切にする
わたしがわたしを認める
わたしがわたしを受け入れる
わたしがわたしのそばにいる
 

これを基準に、
これを基盤にする、
すべてここからスタートさせる、と。
 
 


今まで幾度もの感情、
何往復ものめぐるめぐる思考や悲しみ、
痛みを越えてきた自分自身となら、
 
それは誰ともできない固い約束ができる、と。
 
 
何度もそう強く確信させられ、
わたしはまたひとつ自分との
つながりを感じられるようになっていったのです。
 
 
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自己信頼、ともいえるのでしょうが、
この自己信頼というのは思考上だけのものではなく、
 
自分自身の持つ
 
感情に対する反応
 
そのものが覚えていくものです。
 
 
わかりにくいかもしれませんが、

どれだけ本で読んで
ブログで読んで
セミナーで学んだとしても


 
あなた自身の”反応”が、
何も気づいていなかったら
思考や知識だけが先にいっちゃって、
 
「どうしてあんなに勉強したのに、
どうして理解したと思ったのに、
わたしは変わらないの!?」と思ってしまう。
 
 
だから、
 
考える自分
ではなく
反応する自分
 
に、伝えないといけないのです。
 
 
 
 
わたしはわたしを信頼しています。
 
わたしはこのようにわたしを思っています。
 
わたしはこのように世界を思っています。
 
だからわたしはこのような人でいます。
 
 
 
宣言、自分への宣言。
それなくして、勝手に自分の反応が変わることはありません。

 
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自分に対する自信があったほうがいい、
自分に対する信頼が大事、
 
なんてことは誰でもわかるし、容易にそれらのメリットを想像することは可能です。
 
 
しかし、
本当の意味で自分自身を信頼するということは、ある意味


”じぶん”というものに固執しない、ということでもあります。
 
 
 
じぶんを見つけるということは、
じぶんを捨てる、というプロセスの中で完了していく。
 
 
だから、自分に対する深い信頼を獲得するためには
逆に”自分”に対する不信を『意図的に』強めていく必要も出てくる、
ということなのです。
 
 
 
 
 
あなたは自由です。
悲しむことも楽しむことも、
傷つくことも喜ぶことも、
どれも許されていて、常に今ここで自由なのです。
 
 
何を感じてもいいのです。
不安になることはおかしいことではありません。
思考がぐるぐるもおかしいことではありません。
矛盾していることが、人間として矛盾していないということです。
 
 
そして、常に死んでは生まれ変わるようにして
自分の考えも感情もイメージも印象も
絶えずに変わり続けています。
 
その変化さえも、OKであり、自由なのです。
 
 
変化を許していない人、
あるいは感じることを許していない人は、
自分を罰する代わりに
他者を罰することによって、自分を守ります。
 
それも弱さだと思ってしまうかもしれませんが、
強くいることも弱くいることも、自由なのです。
 
だから、誰かに嫌われることも
誰かが嫌うことも、自由なのです。
 
 
 
じゃあ、何が正しいの?
 
 
 
それがなくなってしまいます。
そして、それがなくなってしまうことそのものが怖い、とそう
働いてしまう思考プログラムによって
 
わたしたちはまた、あるようなないような問題を作り出して、
それを自分の問題と同化させて忙しくします。
 
 
しかし、それもまた自由であり、
それもまた、そうであるだけ、ただ起きているだけなのです。
 
 
 
ある、のは仕組み。
仕組み、というものは、
全体に対して常に広がっている
 
”壮大な自由(=愛)”
 
というものの象徴です。
 
仕組みは全てにおいて平等であり、何かを判断したり解釈することなく
ただただそこで働き続けているのです。
 
 
 
そして、その仕組みを知ることが
わたしは楽しいと思っている。
その仕組みに触れることが、わたしが面白いと思っていること。
 
 
だから潜在意識はおもしろい。
 
いろいろ書いたのに、結論がここに落ち着いてしまうのは、
もう、しょうがない性なのかもしれません・・・。(笑)
 
 
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