『自分責め』

すべてのひとが持つ、
”かんがえる”ことができる人間ならではの性能なのではないかと思います。


自分を責めて心苦しい時もあれば、

自分を責めていなければ身も心ももたない!

というときもあれば。



自分を責めるというのは、ネガティブな印象をうけるかもしれませんが

潜在意識の視点からみると必ずしもそうではない場合があります。



例えばですね、


◎自分を責めているのが意識的にわかるとき

と、

◎自分を責めているのがわからないとき(無意識的なとき)

という風にわけてみます。



ここで大事になってくる大前提が、


意識できることは、

すべて自分が受け入れていること



だということです。



あまりピンと来ないかもしれませんが、

意識できること、つまり

顕在意識にあがってくる情報は

すべて、自分が許可しているからあがってくるんですね。




つまり、その本人は自覚はありませんが、

「意識に自分責め」があがってくるということは、

「自分責め」を許可している、ということになるんです。




逆に、自分を無意識に責めているとき。


これは、「自分責め」を許可していない
(自分を責めることを受け入れられない)ときなので、

自分を責めるかわりに、他人を責めます。



自分責めが無意識におこっているときほど、

「責めたくなる他人」があらわれるよ、ということ。





あひゃ~!


身に覚えある・・・感じですかね?


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どちらにせよ、

自分責めは気持ちよくない。

はやく手放したい。

解放されたい。




でもその前に、知っておいて欲しいことがあるのです。





自分責めを意識的にする人も、

無意識にする人も、



みーんな、根源は『安心したい』なんです。




ご飯を食べるのも、安心したいからだよね。

好きな人と両思いになりたいのも、

愛されている実感が欲しいのも安心したいからだよね。


お金を引き寄せる方法が知りたいのも、

もっと稼げる方法が知りたいのも、


ぜんぶ、ぜんぶ

「安心したい」からだよね。




自分責めは、ツールなんです。

自分を責めることにも他人を責めることにも、
意味を持ちません。

あえていうなら、

ただのツールなので、


自分を責める、という方法をそのときその人が取っている(選んだ)

ってことなんです。


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これは癖?習慣?というようなものなので

自分責めがやめられない人はとりあえず、



「わたしは、自分責めという手段を通して安心したいのか」


というところに目を向けてみてください。




結局ね、

安心できたら、それでいいんですよね。


でも、安心するためには、条件が必要だと。




例えば、

お金がもっとこのくらいあったら、安心できる。

好きな人やパートナーがこうしてくれたら、安心できる。

ご飯をおなかいっぱい食べることができたら、安心できる。



安心に条件をつけているので、


自分を責めて責めて責めることで、安心できる。




こういうプログラムが生まれちゃっているだけなんです。




なんだかんだ言いながらわたしたちは、


条件をクリアしてはじめて安心できる、

というようなプログラムを誰もが少なからず持っているので
あまり気にしなくていい。



自分責めをする人も、
おなかすいたという人も、

本質的にみたら、一緒。




ただ条件がちょっとちがうだけ。

自分責めという方法、ツールを通して

あなたが得たいものはなに?



その本来の目的をみつけることができて、

そこからすこしずつ


「自分責め」をしなくても、その得たいものを得てもいい


とすることができるのです。





自分を責めることで、得たいものはなんだろう。


自分を責めるという手段を使わなくても

それが得られるなら、どうだろう?








その部分に、意識を向けてみて欲しいのです。


(2016年の過去記事 再アップ)