こちら


毛利敬親さん。

長州藩 13代藩主で家臣からのお願いを反対せず「そうせい」と受け入れていたことから

『そうせい候』とあだ名が付けられました。

実に器が大きく寛容な人物だったと言われています。


同じ山口県出身の私は

細かくてケチで器が小さいので


少しは見習いたいものです。。