実家です。

スーパーで普通にこのようなものを売っています。


いなご いなごの佃煮


なんだか、まだ大晦日という実感はわきませんが、きのうは実家の大掃除、そして、これからお節を作ります。

そして「おとしとり」をしたら、実感がわくのかな、と思います。



帽子 ちなみに、想像はしていたものの、伊那は寒くて、さすがの長男も長袖長ズボンです。家族全員、きのう「しまむら」で毛糸の帽子を購入してきました。


欠かせません。










おせちお節完成

今年はいろいろと購入したものを入れたので量が多くなりました・・・。

あ、絹さや忘れた!


今夜はダウンタウンを見るだろうな・・・私。


ということで、一年が終わります。

一年間、読んでくださったみなさま、ありがとうございました。


また、来年いい1年が過ごせますように・・・。


伊那にて・・・

畑谷 圭子


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慌しく年末の用事を済ませています。

今、ようやく年賀状のプリントアウト終了。


母用×2種類、父用、長男用、長女用と、少しずつコンセプト(っていうか扱う写真を)変えてフォトショップで5種類作成。合計200枚以上になる。あ、仕事の年賀状は別として。

会社関係(部署をたくさん経験して友達多い)、ママ仲間、友人、バレエ、野球・・・。

中には1年に一度、年賀状だけの関係の友人もいるけど、そんな関係もいいんじゃないかと思う。


明日は、午前中大掃除しないと・・・。あと、島忠であれとそれ買って・・・。


さて、毎年、年賀状に凝ってしまう私ですが、ホントにこればっかりは凝り性でこまる。

でもそんな私を色濃くついでいる(よりマニアック)のが娘。


間違い探し 間違い探し

この間は、間違い探しを作っていた。(上の絵と下の絵と違うらしい)


「水泳の先生になりたい!」と言って、プールカードを何枚も作って、それに架空の名前を書き込んで、開くと出席回数が丸してある。
間違い探し 自家製プールカード

これを一人で

「でたこるくーん」とか呼んで、

(名前もユニークなのだ。

「るみかさかちゃん」とか

「じろたかがみちゃん」とか。

「はい、ちょっとバタ足が弱いからがんばってね」

とかずーーーーっとやっている。

作り物&一人芝居・・・まさに私の遺伝子!


ああ、織田君が完敗で泣いている・・・。

本当にフィギュアスケートの男子のレベルは上がったねえ・・・。

高橋大輔すごい完璧じゃん・・・。


外国に行っても、こうした演技をしてねえーー。


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いよいよ年末がやってきました。今年はバレエの発表会でなんだかあわただしい12月で、気がつけばもう27日じゃないですか!

せっかくなので、この1年を振り返ってみよう。

去年の今頃のこのブログなんかを読んでみたりして。


2003年12月末…つわりがようやくぬけ、キャリアカウンセラーの資格講座が終ったところ。

2004年12月末…5月に次男がうまれ8月には復帰して、少子化についてWEB調査したりいろいろと文献などを見たりと研究していましたね。

2005年12月末…「未婚男」のためのいろんなインタビューやら調査やら、専業主婦聞き取りアンケートやらをしていました。


さて、2006年は、少子化については、6月の「30代未婚男」の本の出版とともに、私の中では一段落。後半は、どちらかというとキャリアカウンセラーの活動のシェアが増え、高校訪問回数が増え、大学でキャリアカウンセラーを行い、もしくはセミナーを行い・・・といった活動を通して、今後自分が取り組んでいきたいテーマが随分と明確になってきたように思っています。


また、1年前のブログなどを見ると、やはり長女がすごくこの1年に成長したのがうかがえる。もっともっと長女に手がかかっていたのが、今年は本当にしっかりした娘になった。これで4月に小学校に入ったら、本当に、あの「でっかいちび」だけが保育園なんだなあ・・・。おととしなんて、まだストレスでじんましんが出たり、おしゃぶりがやめられなかったり、ヒステリーがとまらなかったりしていたのがウソみたい。ヒステリー・・・本当に見てないなあ・・・。


私は、個人事業主という立場で仕事をしているので、9時~5時の限られた時間を、4月以降、どこにどれだけのシェアをかけていくのか、この3ヶ月で少しじっくりと考えて、来年はこれからの自分の仕事人生の中でも、大きな始まりの一歩にできたらいいな、と思うのでした。


そして、新年には、ブログのタイトル、現状にあわせて変えようっかなー。

なんだろう・・・タイトル・・・。


さて、年賀状やら大掃除やらいっきにギアを入れないと!


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大学時代のサークルの行きつけの飲み屋が、入っているビルの取り壊しとともになくなるということで、サークルのみんなでその店に集まりました。


なんと20人以上が集まり、中には時々あっている同期もいれば、すごく久しぶりにあう先輩や後輩もいて、それでも、すぐに20年前のノリになれて、とてもおもしろかった。

中には

「おととい子どもが生まれた!」という人や

「結婚します!」と発表している人もいて、なかなかにぎやかな会でした。


私は、発表会の二日前でダイエット&禁酒中で、(ちなみに、学生時代のあだなは「ちえ」(じゃりんこちえ)だったのですが)本来はすごい大酒飲みなので、

「ちえさんが、ウーロン茶って不気味なんですけど・・・」とか

「ちえ、いいから飲んじゃえ!」とか

「すごい酔っ払いに冷静に突っ込んでいるのが笑える!」

などといわれていました。



いっき ゴーストバスターズでいっき直前


DJのサークルだったので、それぞれに好きな曲がテーマソングとなり、まわりのみんなが歌っている中、一気飲みをするというのが恒例だったのだが、頼んでもいないのに、自分で歌っては勝手に一気をする人が続出し、おいおい、みんな40代だよ!と思う一方で、できない自分が少し残念だったり。ちなみにゴーストバスターズのテーマとかPETER WOLFの「LIGHTS OUT」とか。

自己紹介一気っていうので出身高校やら学部やらを言ってから飲むんだけどかんだり間違えるとやり直し。


「Jackson browne」のTシャツを着ている友達がいて(40歳すぎて・・・といいたいところですが、音楽関係の人)、私がつい

「だからそのBobby Brownが・・・」とか間違えて言うと、そのまま、ボビーブラウンの歌を歌って

「ってジャクソンブラウンだって!」

というぼけ突っ込みをしてくれたりして、音楽で遊べたりするのが、すごく楽しい。


二次会も行きたかったけど、発表会直前で、あきらめました。

「同じ方向だから、タクシーで一緒に帰ればいいから!」

とかすごい引き止めてもらいましたが(ありがとうね)、電車で帰ってきました。


すごいたくさんの密度の濃い時間を過ごしたサークルの仲間は、いくつになっても、すぐに昔のノリに戻れて楽しい。

けんかもしたし、議論もしたし、相談にも乗ったし、泥酔したのを介抱したり、いろいろあったなあ・・・。

1コ前の記事に関連すると、携帯電話で会話する関係ではなくて、直接何時間でもあって話したり、飲んだりした仲間です。






S社の携帯のCM。不気味だと感じていたのは私だけではなかったようで。苦情が殺到したとか。まあ、いじめを助長というところに反応した内容が多かったようで。


で、ニュースによるとS社は


「ターゲットは中高生や大学生で、『通話が無料なので、友達と交流を増やしてほしい』という思いを表現した。いじめを意識してつくったものではないが誤解を招いた。視聴者の意見を今後もCM制作に生かしていきたい」


と言っているそうですが、ここにも、違和感を感じたのでした。


一つ目がターゲットを中高生にしないでほしいという点。

無料だったら、(大学生ならともかく)中高生が携帯電話を使うことをどんどんと推進していってもいいのか。

中学生に携帯持たせて、友達と携帯で話してばかりいられたら、私は親としてそれはいかがなものかと思う。友達と話があるなら、直接話せばいい。家に帰ってきても、友達と電話ばかりすることは、私は自分の家ではさせたくない。「必要な用事があるときだけ電話を使う」という教育方針は守りたい。

無料だからいい、環境を破壊しないからいい、誰にも迷惑かけていないからいい、ということとは違う、人としてのコミュニケーションの在り方だったり、しつけについての考え方として。


二つ目が

携帯電話で話すことで、友達と交流が増えるのかということ。

友達と携帯で話すことが「交流」で「それを増やしてほしい」というのがCMの目的だとするならば、私は携帯で話すことが友達との交流の最適な方法だとは思わないし、明らかにCMの目的は、他社からうちの携帯に乗り換えてよ!というところにあるのに、それを、「友達との交流」などという大義名分をくっつけて、無理やり持ち込んだことが、なんかさらに寒い。


一日の時間の過ごしかたとして、「学校から帰ってきて3時間友達と携帯で話しています!無料だから」という毎日を過ごす中学生って有りなんですか?S社さん。

思えば12年くらい前に、国立に住んでいた頃に、腰痛対策でなんか運動しなくては!と偶然はじめたクラシックバレエ。

やり始めたらはまって、特にこの6年は、トウシューズでバレエの発表会に出るというはまり具合。


きのうは、クリスマスイブながらに、先生が勉強会という名の発表会を開いてくださって、みながそれぞれ自分の好きなバリエーションを衣裳付きで披露した。私は、発表会は何回か出ているものの、勉強会という一人でバリエーションを踊るというのは始めてだったのです、若干難しい「金平糖の踊り」という演目にチャレンジしました。

午前中のゲネプロでは慣れないリノの床にぼろぼろになり、さらに、親指のつめがはげそうで・・・ひやひやでしたが、結局は楽しく踊ることができました。(いつも、私はあまり緊張しないで踊りながら、ああ幸せだなーと思う)


私のようにがんばっている主婦グループと励ましあいながらがんばった二ヶ月。

40歳すぎても、何かに熱中できるって本当に幸せなことだと思っています。

そんなバレエや、バレエの仲間に出会えたことは、私の40歳以降の人生をとても豊かにしてくれています。


ちなみに、これに向けて1ヶ月ぐらい禁酒&直前1週間はダイエットなので、22日の大学時代のサークルの飲み会もウーロン茶、23日の家のクリスマス会も麦茶・・・。

さー飲むぞー!と言って、打ち上げはみんなすごい勢いで飲んで食べていました!(私も含め)


金平糖 こんなんですわ・・・。

卒業した後で進学しないと決めている(決まっている)高校生にとって、高校生活って、何なのだろうか。


勉強は何のためにするのか。

学校は何のために行くのか。


きのう、ある高校の「総合的な学習の時間」で「大人と語る」という授業のボランティアを募集していたので行ってきたのだが、果たして、いったいこの生徒達に何をしてあげられるのか・・・悩んでしまった。常日頃、高校におじゃまして講演をさせていただいている私ではあるが、きのうはかなりのカルチャーショックを受けた。今まで訪れた高校は、就職1割、残りの半分大学、半分専門各種学校、だったのですが、きのうの学校は、大学、就職がそれぞれ2割、専門各種が3割残りの3割は「不明」とな・・・。ちなみに、外見で言うと、女子の多くがすごい化粧に金髪、超ミニスカートにジャージ・・・でした。


もちろん、みんないい子たちだったのだ。純すぎるくらいな・・・。

でも、とにかくちゃんとした会話にならない。

目の前に私がいるのに、携帯でメールしようとしたり、絶対に目をあわせなかったり、他のグループの友達の所にふらふらっと言って茶々いれてきたり。

まじめに話しているのってかっこ悪い、のかな。


それでも、聞けば、学校はつまんないし、勉強もおもしろくないし、楽しみは「地元」(中学らしい)の友達と夜まで近くの公園でしゃべっていること。家にいるときは携帯で友達としゃべっているのが楽しくて、携帯が月2,3万円かかるからバイトしているという子と、携帯のお金は親が払っていてくれるという子・・・。

え、じゃあ、高校は何ために来ているの?・・・っていう話じゃないですか。


まだまったく私の中で整理できていません。いったい、何をどうしてあげるのがいいのか・・・。

少なくとも、キャリア教育とかいう以前の問題として、もっともっとずーっと基本的な、人とちゃんと話すとか、あいさつするとか、学校は何のためにあるのか、何のために自分は高校に来ているのか、とか、自分はどんな時間の過ごしかたをしていきたいのか・・・といったところからきちんとした方がいいんだろうな、とは思うのだけど、何をどうしていってあげたらいいのか・・・。

せっかくの「大人と話す」という企画でしたが、少なくともきのうの1時間私は何もできませんでした。

少なくとも、

「大人の人に質問してそれに大人が答える」

という形式では、全くもってダメだということだけはわかりました。

もっと、参加できるワークがあって、自然と作業する中で交流できるような仕込みは重要だなとは思います。でも、じゃあ、この間大学生にやった基礎力ワークがいいかというと、ちょっと難しすぎるような感じもします。


オチはありません。

とにかく、自分の非力を痛感したという現状報告でした・・・。

ありがとう、おでん君!

テーマ:

テレビで毎週金曜日の夕方の3チャンネルで「おでんくん」というアニメをやっている。

せっかくなので、本を買った。

おでんくん―The adventure of Oden‐kun (2)/リリー・フランキー
¥1,470
Amazon.co.jp


がんぐろたまごちゃんとか、ニセおでんくんとか、まあ、いろんなおでんの具材がキャラクターとして出てくるんだけど、本の後ろに一覧が載っていて、2歳次男も

「これは?ちくわぶー?これは?だいこん先生?」

と指差してはキャラクターをかわいがっている。


そして、なんといっても、それまで煮物にあまり興味がなかった長男が、おでんを食べるようになったこと!

おでんの具材に興味が持てるようになったので、ちくわだの、がんもだの、確認しながら食べている。

娘はもともと煮物は好きだけど、前よりもいろいろな種類の具材を食べるようになった。


ストーリーもなかなかほのぼのとしているのえある。

リリー・フランキーさん、ありがとう。

厳しい意見かもしれないが、賞を辞退するのだったら、主演という形で映画に出るのを遠慮する方がいいように思う。まあ、出演を受けるときに「日本アカデミー賞はとっても辞退しますけどいいですね」ってスタッフ全員に確認してから受けたのなら別だが。

もちろん、映画を作ることの目的は決して賞を取ることではないし、そもそも、何を持って映画に優劣をつけるんだ、っていう話もある。一番最初に日本アカデミー賞をやったときに、たしか宝田明と、岡田真澄かなんかが、アメリカっぽく司会をやって「なんじゃこりゃ!!」と思ったのを覚えている。

一方で映画の世界だけで生きてきて、それを一つに指標としている人がいるわけで、また、映画作りっていうのはすべてチームなわけで、その人たちに対して、ちょっとに失礼だなーと思う。(会社の同僚が日本アカデミー賞というのは、いわば映画業界の労働組合なわけよ・・・スタッフの慰労的な意味も強いんじゃないのと・・・)

映画だけでやってきた人が、思うところあって辞退するのなら、それはそれでいいし。別にsmapが紅白辞退してもいいけど・・・。

でも、これは違うよね。

あくまでも、木村拓哉という人が個人として、役者として勝負かけたのなら、きちんと評価されてほしかったな、と思う。競うというより、それは「評価」なわけで・・・。


別に、本人が悪いわけではなく「事務所の方針」なんだろうけど、この場合は、所属会社の方針で社員の行動が制限されるというよりも、親の言いなりになって自立できないでいる子どもを見ているようで、なんだか寂しい。本人はどう思っているんだろう。仕方ないのかな・・・。ある程度、社会性を身につけた大人であれば、かなり悩んでいるんじゃないかと思うのだが・・・。なんとなく、木村拓哉さん個人は、とってもそういうチームみたいなものとか、大事にしそうだし・・・。

もし、悩んでいなかったら、それはそれで幸せなことですが・・・。


まあ、もともと、木村拓哉という人の演技については厳しい評価をしている私なのですが(何をやっても「きむたく」なのがかわいそうで見ていられない)、これで、ますます残念な気持ちでいっぱいになってしまった。一方で、きのうのクサナギ君はすごいよね。「いい人」や「さしょうたえこ」で、これは来るかも・・・と思って以来、ますますと演技力に磨きをかけているねえ。


・・・かといって思い切って事務所辞めるなんてしないんだろうな。したら、すごい好きになるんだけど。


嵐のニノはどうするんだろう・・・。


ああ、ファンに怒られそうだ…。


藤原和博さんの本をもう一冊ご紹介。

宮台真司先生などとの共著で「よのなかのルール」(ちくま文庫)を読んでいたら、まさに「人生の教科書」とあるように、とても勉強になることがたくさん書いてある。

人生の教科書 よのなかのルール/藤原 和博
¥998
Amazon.co.jp

しょっぱなの序章の「なぜ人を殺してはいけないのか」という宮台真司さんの章は、なるほどなー、とうなってしまった。


その章の中で「自尊心」について書かれているところがあったのだが、ここのところ、高校生や大学生について思っていることが、とてもうまく整理されていてとてもすっきりしたので、ちょっと紹介したい。


・学校期における思春期的な課題を達成することで、大人社会のコミュニケーションの中で「自分はOK」という「自尊感情」(self-esteem)を得ることができる。他人とのコミュニケーションを通じて肯定され、承認されることで自尊心を養う。


・こうした課題の達成に失敗するとどうなるか

① 他人に承認してほしいあまり、周囲の期待に過剰反応して右往左往する
  AC(アダルトチルドレン)
②他人に承認してほしいが、周囲の期待と自分の能力のギャップが鋭く意識されてコミュニケーションに踏み出せなくなる
  引きこもり
③周囲からの承認がもらいえないことに適応して、コミュニケーションを通じた達成を一切信じなくなるタイプ
  脱社会的


・こうした課題の達成に失敗しない社会にするためには、

(1)自立的尊厳の育成が支援されるようなメカニズムが必要=教育の現場で、自立型の尊厳が養われるような学校システムにするということ。

(2)学齢期に達する前に親を中心とする周囲の大人がどう振舞うかが重要=試行錯誤を繰り返すことで、「失敗しても平気」「怖くても大丈夫」と思えるよう になり、さらなる試行錯誤へ乗り出せる。最初の試行錯誤へ踏み出すためには、幼児期に与えられる「承認」(=無条件で与えられる包括的な受容)が必要。承認を十分に与えられていれば、基本的な肯定感があり、「試行錯誤」へ踏み出す勇気を持てる。

ここでは具体策として

①教育において子どもに試行錯誤の機会を与えることで、失敗や居心地の悪さを人のせいにできず自分でやりなおすしかない制度の導入が必要

②低年齢の段階えは、コミュニケーションを通じた承認の供給を目指す必要があり、児童館が学童保育のシステムを拡充して家に居場所がなくても地域の中に居場所があって承認されるシステムを作るべき


としている。


あー、なんか、日ごろ感じていながら、うまく言葉にできないことを教えてもらった!というお得感がいっぱいです。

特に、外国の幼児番組の「自立」と「相互貢献」を重視する自己決定型の教育、という例表記は「そうそう!」と思ってしまいました。

基本的には、システムを変えるには、段取りやら時間やらかかるから、まずは、親であれ学校であれ、地域の人であれ、子どもに関わるすべての大人が、こうしたスタンスで子どもに接していけばいいんじゃないかな、と思う。


つまり

「何がしたいの?」

「それがしたいならちゃんと自分で伝えないとね」

「でも、それって1人でできないよね」

「誰かに助けてもらうにはどうしたらいい?」

「友達を作らないとだね」

「友達を作るには、気味が魅力的にならないとね。それに、友達がしてほしいことをしてあげないとね」


ということなのだ。


ああ、目から鱗。

引用ばかりですいません・・・。

でも本当に、すっきりしたもので・・・。


子どもに接するときに、

「自立」までは理解があったし、実践しているつもりであったが、自分が魅力的にならないと、とか、友達がしてほしいことをしてあげないと、までは至っていなかった。


きのう、高校の講演だったので、この話を加えた。


「お友達に自分の意見を伝えよう」

「伝えるだけじゃなくて、お友達の意見をちゃんと聞いてあげよう」


と。また


「コミュニケーション能力が高い」ことは「自分の意見を言わずに相手に合わせるのがうまい」ことでは決してないのだよ、と。

「感情制御力が高い」のは「自分の気持を押し殺す」ことでは決してないのだよ、と。

「この人は趣味が何で、どんなテレビ番組が好きなのかを知っている」というのを友達というのではなく、

「この人は、こういう考え方をする人だ、という事を理解しあっている」のが友達なんじゃないかなあ、と。


ちなみに、きのうは、体育館ではなく、場所の都合で食堂のテーブルだったため、中には、最初からこちらに頭を向けている生徒もいた。

だから最初に、


「私はみなさんに、社会人として必要な基礎力のお話をしに来ました。もしもこれが企業の面接で1対1だとして、私に頭を向けますか?これも社会に出る一つの訓練だと思っていただけるとうれしいです」


と釘をさしてみた。


親や先生を含めてまわりにいる大人に、きちんと承認される経験を積んできていれば、いくら授業の一環の講演だからといって、最初から頭を向けるなんて失礼なことはできないんじゃないのかな・・・などと考えながら。

・・・という以上、話の内容で飽きさせない!というプレッシャーが自分にかかるのだが・・・。

結果は、みなさん、かなり真剣に聞いてくださいました。ありがとうございます。


また、先生には、この講演で自分が感じたことを、ぜひクラス単位で、チームに分かれて共有しあい、クラスの他のメンバーにチームごとで発表するといったワークをぜひやってくださいね、とお願いしてきた。

学年単位の講演を1年ぐらいやってきたけれど、やはり、クラス単位のグループワークをしたい・・・と痛切に感じる今日この頃でした。