発達障害の双子のそれなりの気遣い
こんにちは
今は、真夜中なので、明日がどんな天気になるのか空から想像することはできませんが、明日ももう一度ぐらい桜が見られたらなあと思っています。年に一度1週間だけですものね。
双子でいるということは、どんな感じなのか、全く私にはわかりませんが、特別な存在であることは明らかです。
そして、発達障害(発達特性という言葉でお話をされている方もいらっしゃいますね)であることで、定型発達の人との共感ができないことも多々あるとわかっています。
『この顔つきで、アップになったら、きっと、、、こういう伏線があるに違いない』ドラマでありがちなシーンですが、こういうことが、想像つきにくいのですね。とても不思議ですが、これは、経験が蓄積されない分野があるということらしいのです
一度こうだったから、たびたびこうだから、しょっちゅうこうなるから、という経験で、私たちは、判断していることがとても多いと思いますが、それが、経験値として溜まっていかない分野があるんですね。その一つが人の表情です。また、阿吽の呼吸で普段行われているような行動、今、自分に求められている行動が予想できない。これはとても難しいことのようです。
『その辺、綺麗にしておいて』
これはとってもわかりにくいことなんですね。その辺ってどのあたりまでが「その辺」にあたるのか?
綺麗にって、どういうことか? チリ一つ落ちていないようにすること?物をどけるってこと?どこまでどう綺麗にしたらいいの?
確かにそう言われると、我々はいつもとても曖昧に、でもそこは、そのリクエストを出した人の性格や、経験、表情や、声のトーンを見分けて、このぐらいやっておけばいいんだろう、、と、難しい足し算引き算をやっているんですね。
これは、かなり高度なことで、この「人」にまつわる情報は、なかなか彼らには難しいようです。
逆に、床を10分間履いて、とか、10分間雑巾をかけて、とかだと、「終わり」がありますし、どのぐらい綺麗とか、どの辺とか曖昧ではなく、10分でできるところまで、なのでわかりやすいようです。
でも、これは大勢ともに行動をしているときに、そういった配慮は(特に日本では)ないのが通常です。学校の先生方は
「みんな、その辺、ある程度、綺麗にしておいてください」なんておっしゃることもあると思いますし、、「適当に、まあ、ざっくり綺麗にしておけばいいから」なんて言い方も、想像できますね。
こうなったらもう彼女たちはお手上げだと思います。
こういう時に、彼女たちがするのは、「とにかく床に落ちている大きなゴミを拾う」
これはどんな時にも、それはしなくてもいいとは、言われませんし、「終わり」もある程度見えます。
「その言い方では、どういうことなのか、私にはわかりません、、」と発言するのは、団体が大きくなるとなかなか難しい問題です。忙しい人を煩わせたり、行動の流れを止めてはいけないということを考えて、彼女たちなりに、出した結論です。
夏のキャンプや、合宿など、時間通りに動く時、そして、時間がぽこっと空いて、誰かが、じゃあ掃除しよう、、なんてことになっても、これなら大丈夫なのが「大きなゴミ拾い」。
彼女たちなりの気遣いとも言えると思っています。でも、そんな彼女たちが中学生の時には、そういう「生きていくための方法」がわかりませんでした。なので、わがまま、とか、自分勝手とか、指示がわからないことを誤解されたことも多かったようです。
自閉スペクトラム症は見えない障害なので、ニーズを伝えること、そしてそれに沿って、わかるように話していただくことが増えたら嬉しいと思います。
私の音楽ブログでは、1984年のロスオリンピックのファンファーレの話が書かれています。
ご興味がおありになったら是非立ち寄ってみてくださいね。
あ、その音楽私も好き、とか、コメントもお待ちしています。