巡航船襲撃事件 | 人力車 覇者のブログ

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明治36年、大阪に巡航船会社が設立されました。

大阪は、堀川が、市街に張り巡らされていたため、これを利用して、巡航船は交通機関として、整備されます船

巡航船は、迅速かつ、低料金で、大盛況でしたニコニコ

これに伴って、人力車の車夫達は客を奪われ不満がつのりますむっ

明治36年、6月12日、人力車の車夫たちは、土佐堀青年会館(現在のYMCA)に集まり、警察官立ち会いのもとで、巡航船対策の協議が始められます。会場は、興奮につつまれます。警察官も、騒ぎたてる車夫に対し、解散を命じます。

会場を出た車夫達は、興奮さめあらず、深里橋の方向へ南下していきますむかっ

一方、赤手拭稲荷神社の境内でも、別の車夫達が集会を行って、同じ深里橋の方向へ北上していきますむかっ

その2つの集団が3000名余りにふくれ上がります。

その時、深里橋付近を航行中の巡航船を見つけるやいなや、ヤジをとばす者、投石を行う者、巡航船内に乗り込み、手当たり次第に破壊する者、しまいには、巡航船に火をつける者もでてきましたメラメラ

警察官がかけつけるも、川の中に放りこまれるしまつ。刀を抜いて威嚇する警察官も、なんのその丸太の棒でたたきつけられるありさま爆弾

とうとう騒ぎがおさまらないので騎馬憲兵隊があらわれ、鎮圧されます。

この事件により、多数の人力車の車夫が逮捕されましたドクロ