こんばんは、里蓮です。
突然ですが…
皆さんは、動物の死についてどう思いますか?
家にいるペットの犬
外で産まれた野良猫
夏しか生きられないカブトムシ。
それらの命の大切さは同じでしょうか。
それとも違いがあるのでしょうか。
家の玄関に飛んできたカブトムシを
8月から育ててきましたが
昨日死んでしまいました。
時期を考えても、寿命であったと思います。
“カブ”と名前をつけて可愛がってきました。
毎日朝起きると
「おはよう」と声をかけ
寝る前には
「おやすみ」と言って眠りました。
前日まで元気に動き回り
ご飯も沢山食べていたカブ。
まだまだ一緒に居られると思っていましたが
お別れは突然やってきました。
短い時間でしたが
我が家で過ごしてくれたことに感謝しています。
仏教では、人間の世界と畜生の世界は
分けて考えられます。
だからなのかお坊さんがお参りに来た時、
飼っているペットを邪険にされた
畜生を近づけるな!と怒られた。
などという話を聞いた事もあります。
私の知り合いにこのような方がおられます。
「少し前に事故で愛猫を亡くして、仏壇に写真を入れたいんだけど、以前お坊さんにすごい剣幕で怒られたから、入れられない。」
と相談してこられました。
普段から、自分は辛い修行を沢山してきたからお前らとは違うんだ!と威張っておられる方だそうです。
確かに、お仏壇に写真は入れないというのが
仏教においては一般的です。
それは動物でも人間でも同じです。
しかし、言っている事は正しくても
そのお坊さんの対応は正しかったのでしょうか。
その方の悲しみに寄りそった上で、他の提案をする事もできたのではないでしょうか。
誰かが辛い寂しいと言っている気持ちを
自分のものさしで測ってよいのでしょうか。
私達は多くの命をいただいて生きています。
また、多くの命と共に生きています。
蚊やムカデを見たら殺します。
人間基準で生かしたり殺したりするのですから人間にとって全ての命が平等というのは
正直綺麗事のように思います。
たかが猫、と言う方もいるでしょう。
ただの虫、と言う方もいるでしょう。
しかし、
他人から見てどうか
一般的にどうかではなく
その人にとってどんな存在であったのかが
とても大切だと思います。
浄土真宗本願寺派では
動物が亡くなった後にどこに行くのか
明確に示された書物などがないそうです。
未だに議論され続けられていると聞きました。
先述したように仏教では六道の中で
人間と畜生は違う世界に属しています。
※六道…天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄
全て迷いの世界。
この六道の中で輪廻転生します。
私個人的な考えが含まれますが、
動物の命の行く末は2つ考えられます。
浄土真宗では
阿弥陀さまのお心に出遇えた私達は
この迷いの世界から離れて仏さまと成り
(成仏)
仏さまの世界に生まれさせていただきます(往生)
そして阿弥陀さまは、生きとし生けるもの
全てをお救いくださるとお約束されました。
人間の世界に生まれ変わって
仏さまの教えに出遇い
そして私達と同じように成仏して
また仏さまの世界で会う事ができる。
もしくは、動物も阿弥陀さまに救われて
すでに成仏している、と思っています。
いずれにしろ
私のカブともいつか仏さまの姿で
再び会うことができる。
私はそう信じています