「瞳をとじて」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

ある映画の撮影中に主演俳優フリオが失踪する。自殺という憶測もありながら22年の歳月が経過する。映画監督ミゲルは失踪事件を題材にしたTV番組に出演する。番組放映後、フリオに似た人物がいる情報が届く…

 

時間と記憶は真相へたどり着けるのか。

 

(歴史修正ではなく)事実は時に変容する。それは受け手側の感情が移ろい、過ちを許し禍根は薄らいでいく。人や事象の見方は価値観同様変わる。それは無節操というスタンスではなく思考の積み重ねが成長と密接につながっている故に変わる。行方不明になった俳優フリオを探し求める映画監督ミゲルは、記憶喪失となったフリオの過去と自身の見えなかった事実を在りし日の映像を通して模索する。真相には程遠いかもしれない。だが現実に人は存在し、交わされる言葉は虚実に惑わされても記憶に留まる。各人の感情は揺れ動き真相へと絶えず向かう。その過程こそが大切であろう。

 

この作品では最終の答えは提示しない、それは観客に委ねる。そこで真相とは目的地ではなく経過そのものなのだと気付かされる。情報過多な社会に属する私たちはすぐさま答えを知ろうとする。そうでないと居心地悪くモヤモヤする。しかしその答えとは一体誰のためなのだろう。さらに言うと答えはひとつしかないのだろうか。決して曖昧さを最適解とジャッジするのではなく、人それぞれの答えがあって良い、それこそが多様性、それじゃあ収拾つかないじゃないか。この居心地の悪さが面白い。

 

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