「ミッドナイト・トラベラー」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

スマホは万人の手に宿り、そのレンズを通した光景は世界中で共有できる。2015年のアフガニスタン、映像作家のハッサン・ファジリは自ら製作したドキュメンタリー作品が起因となってタリバンから死刑宣告される。彼は家族と共に国外脱出して難民という選択をする。今作はその逃避行をスマホカメラで記録したドキュメンタリー作品。

 

中盤以降、母国から離れると共にイスラム教の縛りから距離を置いた母親と長女が抱く希望は女性解放という生き甲斐へと傾倒する。この自然な振る舞いが躍動感となって映し出される。母親の慣れない自転車走行、長女の鼻歌交じりのダンス、文字通り身体を使った開放感が滲み出してくる。

 

この時点でも家族はまだ難民として受け入れられていない。しかし彼女たちは自由を感じ取りそこにたどり着こうと模索する。ここで私たちはわかる。"自由" とは社会や行政が与えるギフト・特典ではなく、自身が行使しようと信念を持つ、少しづつ得る充実感を原動力とするものであろう。身柄という外的要因よりも信条という内的要因が大切なのだ。

 

ならば、国家や宗教が女性の権利を抑圧する果ては秩序をもたらすのではなく、男性優位という驕りにみえる臆病風に過ぎない。理不尽な社会から勝ち取る "自由" は不屈かつ崇高な精神であろう。そこに終着はない。不断の反骨を日常の一コマとして織り成す構成が主題を巧みに表現している。

 

先述した長女の鼻歌交じりのダンス、スマホ映像を見ながらの模倣、逃亡生活が続く劣悪な状況でもネット環境は少女の心の救いとなる。その楽曲はマイケル・ジャクソンの「Black or White」「They Don't Care About Us」差別や抑圧に服従しない歌詞内容がハッサン・ファジリ一家の背景と繋がっている。さらに長女が背負っていた因習の撤廃も重なってくる。未来ある子供がマイケルの世界に希望を託しているのは感慨深い。

 

飲食店でフード写真や観光地で自撮りするのを否定しないが、スナップ写真ではなく、そこに映る世界を見渡してみるのも一興だと感じる。"怒り" や "抵抗" は決してカッコ悪くない。そんな重いメッセージってうざい?そう言わずに、こんな面倒な輩でも被写体になれば感動の瞬間が待って…いないよ。波風立たないので黙考。すると放屁。こりゃ臭いから解散。

 

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