昨日「BusinessAirport新橋」を退去し、自宅オフィスの戻ってきました。次はWeWork新橋もと思っていたところに、いきなり「WeWork新橋」閉館パーティーのお知らせが届き、驚くやら、また懐かしいメンバーに会えるかも知れないという期待感が入り交じっています。「WeWork新橋」はWeWorkの日本進出2番目の拠点で、一棟借りということもあり、一階のオープンスペースで毎晩のように行われていたレセプションという名のパーティーの喧騒は上階には伝わらず、退館も通用口から可能であり、WeWorkらしいオフィスであったことは間違いありません。
WeWork新橋は御成門にあり、決して立地的には良い場所とは言えないのですが、当初のWeWork人気もあり、募集当初からほぼ満室稼働していました。私がそこに拠点を移したのは、大量の図面や書類を広げる場所を必要としていたためで、当初は、2ヶ月程度借りる予定でした。しかし、その後、本格的に事業を始めたためWeWork新橋の契約を延長することになります。1ヶ月毎の更新ですぐに退去できる体制でしたが、事業からの撤収まで2年間借り続け、その後、新型コロナで建物全体がほぼ閉鎖されているような状況の中で一年間執筆活動のために借り続けました。最後の一年間は、WeWork新橋とJ大学病院と自宅が丁度三角形の位置にあり、早朝受診受付を済ませてからWeWork新橋で待ち、メールで受信が近いという知らせがきてから、病院に向かうというルーチンができ上がっていました。
また、食事には気を遣うため、新型コロナで営業的には苦しい持期でしたが、「おでん屋さん」が私のお腹を気遣ったランチを出してくれたことも、WeWork新橋の契約を続けた理由の一つでした。
さすがにそれなりの費用もかかるため、WeWork新橋もう少し費用のかからない「秘密基地」を探し始めたのですが、個人事業主にはそれなりにハードルは高く、シェアオフィスでも法人限定というところもあり、いったん撤収となりました。とはいうものの「WeWork新橋」で個人事業主で部屋を借りていたのは私だけで、原則法人のところを既に入居しているメンバーの強力な紹介でねじ込んでもらったというのが実際のところです。
私にとってのシェアオフィスのメリットは、膵臓がんの手術後は、「トイレ」にあります。突然お腹が「ぐるぐる」いいだすとトイレに駆け込む必要があったからです。シェアオフィスは通常のオフィスを改造しているとことが多く、在館人員に比べてトイレの数は多く、別な階のトイレに駆け込むことも可能です。この安心感が当時の私にはもっとも重要なことでした。
WeWork新橋では常時3人、テンポラリー1名で運用していましたので、mac2台、ウィンドウズ2台、ノートパソコンmacbookは3台、surface1台がありました。自宅のウィンドウズ機2台をあわせて、一時自宅はパソコンだらけになっていました。結局はソフマップで買い取ってもらい、ノートパソコン1台と自宅のデスクトップ1台の2台に整理しました。
WeWork新橋から撤収し、次の「秘密基地」を探していたところ、新橋の駅前のヨネックスに当時評判となっていた「マスク」を買いに行った時、その上の階に会議室やシェアオフィスのあることを偶然に知りました。その足で総合受付に行くと「BusinessAirport新橋」というシェアオフィスとなっていて、パンフをもらい早速検討を始めました。先ずは「大部屋」会員となり、新橋以外の田町、日本橋、渋谷、青山、浜松町、丸の内などを実際に使うことにしました。
その頃、執筆の新たな企画が始まり、新橋の「大部屋」会員として共用スペースで作業を始めました。何とかノートパソコンで作業ができると思っていたのですが、その考えは甘く、やはり、多くの資料を広げるスペースが必要になり、結局、「大部屋」は2週間で、その後2人用の個室を契約することになりました。
一度撤収していた「WeWork新橋」の大量の資料を「BusinessAirport新橋」に運び込んで自宅の書斎をすっきりさせたのを一番喜んだのは妻であったことは言うまでもありません。
その後、一昨年の末に無事に新作を出版したのですが、その後、「膵臓がんと向き合う ー第十二話ー 余命宣告」となり、事務所に籠もって、これまでの自分の人生やこれからの生き方について考える日々が続きました。この頃はシェアオフィスという環境は私の執筆活動の場としてなくてはならないものなっていました。
《続く》
