万葉集のつまみ食い204 | 日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

2224・此夜等者 沙夜深去良之 鴈鳴乃 所聞空從 月立度

 

   このよとは さよふけざらし かりがねの きこゆるそらゆ つきたちわたる

 

 訳:この夜のもの音では 夜が更けられないようだね 鴈の鳴き声が聞こえる空から 

   月が渡り始めている

 

**「よと」は「夜のもの音」。

  「ざ(ぬ)らし」は「ざるらし(ずあるらし)」の略で「~でないらしい」。

  「たちわたる」は「渡る動作を起こす」意。

 

 *鴈がうるさく鳴き渡っていて、とても夜更けとは思えません。

  明るい月までも出て来ましたよ。(月もうるさくておちおち寝てられないのかなあ)

 

2228・芽子之花 開乃乎再入緒 見代跡可聞 月夜之清 戀益良國

 

   はぎしはな はなのかをりを みよとかも つくよしさやく こひますらくに

 

 訳:萩の花の 花のほのぼのとした美しさを 見て下さいと言っているのかなあ 

   月夜が澄んで明るく 恋い慕ってしまいますことよ

 

**従来、「乎再入」を「ををり:たわみ曲がる」と読んでいます。

  1421の「乎為里」も「ををり」と読んでいます。「乎為里」は万葉考では「乎烏里」とし 

  ています。

  「乎再入」の「再」は前の字と同じと言う意味と思われますので「乎乎入」とすれば「をを

  り:繁り」と読めます。しかし、「かをり」《(乎)は訓では(か、や)》とも読めます。 

  万葉集では(乎)は(を)の音で多く使われていますが。「再」の文字を使っていますので 

  「乎乎」の読みが異なっているサインかなとも思いました。

  「かをり」は「良い匂い、目で感じる美しさ・ほのぼのとした美しさ」です。

  「開」は「咲く」で「花」と読みました。

  「こひますらくに」は「こひ:(恋ひ慕ふ)の連用形+ますらく:丁寧語(ます)の連体形

  +形式名詞(あく)+に:結果を表す格助詞」で「恋い慕ってしまいますのに」。

 

 *さて、「ををり」と読むか「かをり」と読むかですが、詩の雰囲気から見ると「かをり」と

  私 は読みたいと思うのですが如何でしょうか。

 

詠風

 

2230・戀乍裳 稲葉掻別 家居者 乏不有 秋之暮風

 

   こひつつも いなばかきわけ いへをれば ともしくあらず あきしゆふかぜ

 

 訳:(妻を)恋い慕いながらも (稲場での仕事を終えて干した稲を)かき分けて

   (帰って妻と一緒に)家に居ると 満足です 秋の夕暮れの風は(心地よくて)

 

**「いなば」は「稲寄せ場・刈った稲を干しているところ」。

  「かきわけ」は「干した稲の間をかき分けて帰って」。

  「ともしからず」は「ともしくあらず:不足してはいない・満足」。

 

 *仕事の後の秋の夕暮れの風が心地よく、家に帰って妻と一緒に居るときが、一番幸せを感じ

  るときだなあ

 

2232・秋山之 木葉文未 赤者 今旦吹風者 霜毛置應久

 

   あきやまし このはあやしみ あかければ けさふくかぜは しももおくべく

 

 訳:秋山の 木の葉が普段と違って 赤いので 今朝吹く風は 霜を置きそうですね

 

**「文」は「あや」。「あやしみ」は「あやし:普段と違う(形シク)の語幹+み:接尾語 

  (連用修飾語を作る)」。

  「あかければ」は「あかけれ:(あかし:赤色である:形ク)の已然形+ば:接続助詞」。

 

 

 *山の木の葉が色づいて来たように見えるし、もう秋も深まってきて、今朝のこの冷たい風で

  は、きっと霜が降りているだろうな。

 

2235・秋田苅 客乃廬入爾 四具禮零 我袖沾 干人無二

 

   あきたがる たびのいほりに しぐれふり わがそでぬれぬ ほすひとなくに

 

 訳:飽き飽きしていた 旅の(途中の)仮小屋に 時雨が降ってきて 

   私の衣の袖が濡れてしまいました 干してくれる人もいないのに

 

**「あきたがる」は「あきた:(飽きたし:ひどく厭になる・飽き飽きする)の語幹

 

  +がる:接尾語(四段)(~と思う・~と感じる)」で「飽き飽きしていた」。

  「ぬれぬ」は「ぬれ:(濡る:濡れる)の連用形+ぬ:完了の助動詞」で「濡れてしまっ

  た」。

 

 *彼女とずっと逢っていないし、もう旅にも飽きているのに、この小屋の雨漏りは、なんて言

  うことだ。誰も着物を干してくれないよ