万葉集のつまみ食い202 | 日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

2184・秋山乎 謹人懸勿 忘西 其黄葉乃 所思君

 

   あきやまを ゆめひとかくな わすれにし そのもみぢばの おもほゆるきみ

 

 訳:秋の山を 決して一緒にしてはいけません 忘れてしまう 

   その(秋の山の)黄葉の葉と (今も)想われるあの方を

 

**「ひとかく」は「一対としてならべる・一緒にする(下二段終止形)」。

 

 *秋の山と彼を一緒にはしないで下さい。秋の山の黄葉は忘れても、あの人のことは

  ズーと想っているのですから

 

2187・妹之袖 巻来乃山之 朝露爾 仁寶布黄葉之 散巻惜裳

 

   いもしそで まききのやまし あさつゆに にほふもみぢし ちらまくをしも

 

 訳:彼女の袖を 巻きつけてきた山の 朝露に 美しい黄葉が

   散ってしまうのは残念ですね

 

**「まきき」は「寒さのためか(袖を身体に)巻き付けて来た」という描写でしょう。

  勿論巻き付けたのは彼氏(この詠手)の身体です。

 

 *寒くて、彼女の袖で温めてもらいながら来たけれど、あの朝露で輝いていた黄葉は、

  もう散ってしまうのかなあ。素敵な思い出だったのに!

 

2188・黄葉之 丹穂日者繁 然鞆 妻梨木乎 手折可佐寒

 

   もみぢはし にほひはしげし しかれども つまなしのきを たをりかざさむ

 

 訳:黄葉は愛しく 鮮やかな色合いは沢山あります でも(私は)妻無しの梨の木を 

   手折って翳しましょう(顔を隠しましょう)

 

**「もみぢはし」は「もみぢ愛(は)し」、この気持ちとしては(私には黄葉を一緒に楽しむ  

  妻が居ないので)。

 

 *独り者なので、妻と黄葉を楽しむ男達が羨ましいな!

  でも、そっと顔を隠して、独りで黄葉を楽しんでもいいでしょ?

 

2189・露霜乃 寒夕之 秋風丹 黄葉爾来毛 妻梨之木者(露霜乃)は(元:露霜聞)

 

   つゆしもの さむきゆふへし あきかぜに もみぢにくるも つまなししきは

 

 訳:露霜が降りる 寒い夕暮れの 秋風の中で 黄葉が見たくなるのだなあ 

   妻無しの梨の木は(妻無しの私は)

 

**「もみぢにくる」は「黄葉に(気持ちが)行く」。

 

 *寒いときに暖めてくれる彼女が居ない身では、黄葉ぐらいしか

  想い慕う相手がないのです(梨の木を妻のいない自分に重ねています)

 

2202・黄葉為 時爾成良之 月人 楓枝乃 色付見者

 

   もみぢなす ときになるらし 月の日と かえでのえだの いろづくみれば

 

 訳:葉が紅葉する 時期になるようです その頃の日と思われる 

   楓の枝(の葉)が 色づいてきたのを見ると

 

**従来「月人」を「月人男」のこと、として「楓」を「桂」と読み替えています。

  確かに「月人男と桂」はセットになりますが、「月人と楓」を無理に「月」にちなむセット 

  にするのには抵抗があります。作者が「月人男」を知っていたら、ここは「楓」では無くて 

  「桂」と書いたはずです。どちらも紅葉は綺麗なのですから。

  「月の日と」と読んで「紅葉になる月の紅葉になり始める日頃と(思われる)」、と解釈い

  たしました。尚「楓」は通称「もみぢ」とも言われています。

 

 *我家の楓の葉が色づいてきたのを見ると、もう紅葉の季節なのですね。

  そろそろ綺麗な山の黄葉でも見に行こうかな