これはフィリップシャリオールの時計です。
先日、この時計とお別れしました。ヤフオクで競り落としてから、実に20年くらい、私の手元に居ました。
この時計が白いワイシャツの袖口からチラチラ見えたら、さぞ満足感が得られるであろうと期待して、ひとめぼれに近い気持ちで、衝動買いしました。
しかし、いざ自分の手首に載せてみると、大根にコインを置いたような、とても残念なビジュアルになりました。
以来、たまに着けていたものの、置物として眺める時期が続きました。
私が持っていても可哀そうだと、買ってから何年かして、一度、質に出そうとしたことがありましたが、惜しむ気持ちが勝り、結局、売る気になれませんでした。
その時、やっぱり気に入っている時計なのだなあと改めて思わされました。そして、手元に置いて、ずっと持っていました。
しかしながら、やはり出番はほとんどなく、不憫でした。
さらに10年以上経ちました。月日の流れるのは早いものです。
ふと、せっかくきれいな腕時計として生まれてきたのに、不釣り合いな人間に買われ、活躍の機会もほとんどないまま、腕時計としての一生を終えるよりは、誰かに使ってもらった方がいいのではないかと思い立ち、今度は身近な人で、この時計が似合いそうな人を探すことにしました。
そう思って職場を見渡すと、すぐ近くの席にいる同僚が、とても、よく似合いそう。
声をかけて写真を見せたところ、たいへん気に入ってくれた様子だったので、その方に譲ることにしました。
お別れの前日の夜、新品のワニ革のベルトに交換をし、きれいに拭いて、写真を撮りました。さようなら、シャリオール。
以来、シャリオールは職場の同僚の手首で、その絢爛たる美しさを惜しみなく発揮しております。いや、本当によく似合っています。素晴らしい。
同僚も喜んでくれていますが、私としてもたいへんうれしく、日陰を歩んできた古い友達がようやく浮かばれ、活躍の場を得たようで、満足しています。