昨日クワストホフの話をし始めたばかりだったのですが、
突然思うことがあったので、
忘れないうちに、書いてしまおうと思います。
今まで上げて来た動画では、
スターたちが歌っている、いろいろな企画ものが多かったので、
たまには、マイクを使って歌っているものがありましたが、
基本的に、クラシック音楽のコンサートの95%はマイクを使われずに演奏されます。
それが2000人以上のキャパシティのオペラ劇場でも、
3000人のコンサートホールでも、同じです。
クラシック音楽というのは、1700年代終わりから、第一次対戦前のヨーロッパの音楽で、
その全盛期には、もちろんマイクなどありませんでしたから、
マイクなしで演奏されるのは、当然だったでしょう。
しかし、なぜこのようにマイクの技術も、アンプ、スピーカの技術も非常に優れた現代において、
今だに、マイクなしで、そのようなことする必要があるのか、
そういうことを疑問に思われる方は、稀なのかな。
まあ、クラシックってのは、こんなもんだ、と大体は考えているのではないかと想像いたします。
クラシック音楽は、伝統的にマイクなしで演奏されて来ましたが、
見栄を張ってそれを変えたくない、そういうマッチョな理由で今だにマイクなしで演奏するのでしょうか。
実はそうではありません。
それには、重要な理由があり、
少なくとも、ヨーロッパ、日本に限らず、全世界でこの伝統がまもられていてよかったと、私は思う。
なにせ、無理解によって、いろんな価値が簡単に破壊されるものですから、
人が本質を理解しなくなれば、そういうことだって起こり得る、起こり得たわけです。
そして、もし、クラシック音楽がみんなマイクで演奏されるようになったら、
私は、クラシック音楽をやめるでしょう。ってぐらい、私にとっては「マイクなし」は非常に重要です。
そもそも、現代の生活の中で、マイクなしで、音が大きな空間で響く、
ということを、体験しないですよね。
会議でも、もう30人以上集まれば、マイクを使うのではないでしょうか。
音楽も録音にしろ、ライブにしろ、すべてスピーカーを通して流れますしね。
唯一思いつくのは、和太鼓なんかは生の音のまま、野外でパフォーマンスがあったりしますが、
実に、太鼓の音というのは、ここでいう音の響きと違う種類の音でありまして、
音の周波数が、一定していない音、噪音と呼ばれる音なんですね。
(騒音ではありません、噪音でございます)
周波数が一定している音というのは、人が話している時の声とは違う、歌っている時の声。
ピアノ、バイオリン、シンセサイザー、ギター、
なんでもいいのですが、音楽で和音を構成することが可能な音であります。
そのような、周波数が一定している音が、生のままで空間に響くことを体験することは、
実は、そのような場を意図的に設定しない限り、現在では起こらないですよね。
ポイントは、空間の中で、(つまり野外ではなく、なんらかの閉じた空間で)
一定の周波数を持った音、という2点です。
さて、そのようなことは、多分、現在ではクラシック音楽のコンサートか、
ヨーロッパでマイクを使っていない教会の中ぐらいでしかない。
どちらにしても、意図的に「マイクを使わない」という条件をつけない限りは、
現在では大きい場所では自動的にマイクを使ってしまいますからね。
そういう訳で、
現代人は、空間の中で、一定の周波数を持つ音が生のまま響く、という現象をほぼ知らないで生きていると言ってもいいでしょう。
待ってください。
この話、意外と長くなってしまいますよ。
結論を言うためにするべき次の話も、またかなり長くなりますから。
仕方がないので、この話はまた明日にまわそうと思います。
昨日始めました、クワストホフの話は、その次までお預けになってしまいましたが、
少しの間、こちらの話にお付き合いください。