平成2512月議会

 

 「昔から、芦屋の人たちがこのまちに何を望んでいたんか。白砂青松の浜や芦屋川にかかるすてきな橋、商店街には活気がみなぎって、洋館建築のランドマークにもなった、そういう建物がいっぱいありました。公園の中にも芦屋らしいこだわりが幾つもありました。

  私が幼いときに見た芦屋というのは本当にきれいな浜だったんですね。

 ずっと浜の方から散歩してきますと、清風荘という旅館があって、横に神戸銀行のきれいな天然芝のグラウンドもあった。その横には松林の中に東屋がった。芦屋公園のほうに行きますと「ひまわり」という浜茶屋があって、松浜公園の中には芦屋の古くあった公園の停留所があったり、芦屋川沿いをずっと上がっていきますと芦屋の北館の、私が大好きなウルトラセブンの六甲宇宙防衛軍の基地になったすてきな建物があって(市役所北館)カトリック芦屋教会、芦屋川の石垣をずっと見ながら上に上がっていきますと、山手っ子が大好きだろうと思う開森橋からの風景、そして、もっと上に上がれば天然プールがあって、その前から望む風景には旧山邑邸は国の重要文化財です。それから、もっと上に上がりますと高座の滝があって、高座の滝には、きのうも出てましたロックガーデンがあり、ロッククライミングは芦屋が発祥の地だというプレートがあります。

 朝日ケ丘のプールからは海が一望できるし、その横には松風山荘の松風坂と呼ばれる坂があります。これは谷崎潤一郎の文学に登場する赤い屋根の家。奥池のほうに上がれば、奥池には鹿がいました。奥池の中にはアヒルがいっぱい泳いでて、手こぎのボートで池遊びができたんですね。そんなようなまちが芦屋の風景として残ってました。至るところに、これぞ芦屋らしさというようなロケーションがたくさんあった。これが私が幼いころから見ていた芦屋の風景でした」

 

私の一般質問の下書きを発見した。

 

芦屋の古い話は敬遠されがちな芦屋市議会・・・・

 

でも、私は言い続けるでしょう「芦屋市がなぜ発展したのか・・・」

これだけは言いたい「芦屋市民の底力であって市が主導の街づくり成果などでは決してない」

 

これまで通りに「市民と共に街づくりをやるべきなのだ」

 

最近の芦屋市は行政が決めたことに従え!的なやり方が多くないか?

 

だから、市役所職員のみで決定した「憧れを日常に!」なんてキャッチコピーを平気に使い。

自慢げなこのキャッチコピーをシティプロモーションを展開するという。

 

市民にバッチまで配りはじめるのだ。

 

「自ら憧れ?とか言っちゃあだめだ!」と私は考えます。


それより、今直ぐやれる子育て事業!

幼稚園の空き教室を利用した小規模保育所の設置や3年保育の幼稚園での実施を!


芦屋市の子育て環境を胸をはって言いたいものです

 

写真は芦屋市伊勢町にあった金川邸

 

 

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