5月10日「もうひとつの誕生日」
私にとっては、特別な日です。
今から39年前、高校3年生になったばかりの今日、
私の命運は一度、途絶えた・・・・いや、生まれ変わった日と言えるのです。
朝から、体調が悪く・・・午前9時50分ごろ・・・
自宅のガレージで突然。
目の前が真っ暗になったとような・・・。倒れ崩れた。ブラインドが「バッシャ!」と落ちたような感覚でした。
「意識不明」のまま、芦屋病院に担ぎ込まれたのです。
意識が戻った時はすでに2週間が経過していた。
病室の天井だけがぼんやりして見えていたのですが、手足は全く動くことなく全身の感覚を無くした。
無意識の時は「夢」を見ていました。
18歳になるまでの時間を逆行する、幼いころや中学生時代の私に「夢」の中で会っていました。「時間旅行」と言うものがあればぴったりでしょう。
私の記憶はこうやって再構築されました。
そして、8ヶ月病院で過ごした。
腎臓病「ネフローゼ症候群」の診断から「腎機能障害」
主治医からこれから先は、普通の生活ができないと「生検検査の結果」から告げられた。
私が将来に描いた「夢」はその時に断たれた瞬間だった!
「終わったよ!何もかも!終わった!」
私は荒れた!悔しかった!涙が止まらなかった!
生命維持のために、大量のステロイドホルモン剤を体内に点滴で、経口薬で・・・
4年近く使うことになった。
顔のリンパ部分はむくんだままになった。「ムーンフェイス」になった。見たくない顔だ。
鏡は病室からすべて外してもらった。
「もう、どうでもいい!」死ぬことさえ頭を何度も過った。
少しづつ回復するかも?その少ない望みにすがり、生の執着を始めたが周りは関係なく、先に進んでいく。
私は取り残された・・・そんな荒んだ気持ちしかなかった。
言動も行動も最悪だっただろう。それでも、家族や友人たちは私を支えてくれた。
感謝の気持ちは言葉にならない。今もその感謝は全く変わらない。
それから、25年後、この薬の副作用で関節や骨に生成する栄養分が運ぶための機能を無くしてしまったようで、
関節は徐々に蝕まれ、ついにバラバラに破壊された。
そして、13年前に両下肢の機能障害が・・私を車椅子に頼る生活へと向かわせた。
「命が残ったんだから、どんな姿でも構わない。生きていればこそ、何かまだやれることもあるだろう。」
「そう、目一杯、生き抜くことこそ、私に与えられたものではないだろうか」
「だったら、それを裏切るような事は絶対にしない」
「自分に出来ることを自分らしく、やってやろう!」
私は今、生きていることに感謝しています。
楽しく!元気に!だから、ファイト!おぅ
すべては、39年前の今日から始まっている。