特攻の母 | ご縁を頂いたすべての心やさしい人へ♪

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暑過ぎます。

さらに大型台風も迫っている。

読者の皆様、くれぐれもご注意願います。

さて、今年も今日が来た。

そうです。終戦の日です。

暑過ぎようが台風が来ようが、平和に感謝せねばならない日だと私は勝手に思っている。

 

昨年、ある尊敬する読者様から一冊の本を教えて頂いた。

 

 

これを教えて下さったのは、関東在住のパーソナルカラー講師のY様である。

この場を借りて感謝申し上げたいです。

 

私は不覚にも知らなかった。

特攻の母なる人がおられた事を…。

この人は戦時中、鹿児島の知覧で食堂を経営されておられた。

お名前を鳥濱トメと云う。

 

戦局が悪化し、日本は特攻隊に力を注ぎ出す。

特攻隊とは飛行機に爆弾を搭載し、敵艦に飛行機ごと突っ込む無謀極まりない戦術である。

この特攻隊の基地が鹿児島の知覧にあったのだ。

 

ここ知覧飛行場から、昭和20年4月1日から6月21日まで、何と439名の若者達が連日片道分の燃料と爆弾を積み、飛び立っていき、かけがえのない命を散らした。

 

 

トメ御大は愛に生きた人だった。

その飛び立っていく隊員たちを我が子のように可愛がった。

いつしか隊員たちから「お母さん」と呼ばれた。

 

明日、敵艦に体当たりしていく若者をどんな思いで見つめていたのだろう。

現代に生きる私には想像も付かない。

 

「みんなうちの子…」

そう云いながら御大は特攻兵を我が子のように可愛がり、ひと時を過ごし、送り出していた…。

果てしない悲しみと共に。

 

そんなある日も一人の隊員が現れた。

翌日、敵艦に突っ込んでいく予定の特攻隊員の特に御大が可愛がっていた22歳の勝又勝雄少尉だ。

 

「おばちゃん、俺は勝又の勝雄だよ。勝つ、勝つ、こんな良い名前は無いだろ。このめでたい名前の勝又勝雄が出撃するんだから、日本は勝つに決まっているよ。

おばちゃん、元気で長生きしてくれよ。人生50年と云うけれど、俺の残りの命は全部おばちゃんにあげるから、俺の分まで幸せに長生きしてくれよ。俺たちの事忘れないでくれよ。きっとだよ」

 

トメ御大はこの言葉を終始忘れず、戦後を生きたと云う。

 

「私は勝又さんたちに余分に命をもらっている。だから、何があってもめげない。命の大切さを語り継がねばならん」

 

蛍に姿を変えて帰ってきた宮川三郎軍曹の話も有名だ。

敵艦に突撃したのち、蛍になって帰ってくると云った宮川軍曹が宣言した夜の9時キッカリに食堂に現れたのだ。

この話は「ホタル帰る」の題名にもなったぐらい有名である。

映画にもなった。

 

こんな想像も付かない事が、74年前に現実としてあった事を忘れてはならないと思う。

 

 

確実に時代は便利になった。

しかし、便利になった事で大事な事、大事なモノをふと忘れる事もあるのが現代人では無かろうか。

そんな時にトメ御大の志と生き様と言葉は私たちに大事な事を教えてくれる。

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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